隠居するならリスボンに限ると思った。モザイクの美しい道路。キラキラと宝石のようにかがやく冬の太陽。美しい亜熱帯性の鬱蒼たる街路樹。ポルトガル独特のタイル細工をはめこんだ家々の複雑なファサード。それが斜めに日を受けると、何ともいえない繊細な立体感があふれてきて、しかも雅趣に充ちている。
「南蛮趣味のふるさと—ポルトガルの首都リスボン」
~佐藤秀明編「三島由紀夫紀行文集」(岩波文庫)P202
三島の描写は相変わらず洒落て美しい。
1960年の外遊で欧州を訪れた三島由紀夫の紀行文集は、いつもの飾った、気取った文体ではなく、自然体の、等身大の彼の頭の中が垣間見えるもの。60年以上も前のこと、彼が見たその風景は、もちろん今とは違うだろうが、まるで音楽が聴こえてきそうな、それこそ「雅趣に充ちた」三島の言葉の綾に僕はいつも感化される。
リスボンにまつわる上の文章は、まるでピリスの弾くショパンの夜想曲のようだ。彼女のショパンはモザイク的であり、また煌めく冬の太陽のように、冷たく、厳しく、僕たちの心をとらえる。単に厳しいだけでなく、そこには安心がある。
アルトゥール・ルービンシュタインの夜想曲全集に目覚め、そしてサンソン・フランソワの夜想曲全集に焦がれ、僕は少年時代を過ごした。ショパンの夜想曲は僕にとってそれほどに大切な曲集なのだが、今もし、一つを推すなら、マリア・ジョアン・ピリスのものだ(2年という年月をかけて録音された代物)。引退まもないピリスの音楽は、ほんの少し枯れた、堂々たる風趣の、近寄り難い境地のものだったけれど、この頃の、いわば壮年期(円熟期)のピリスのそれは、浪漫豊かで、また色香に溢れ、隅から隅まで静かで美しい。
今、ピリスはブラジルの港湾都市バイーアに住む。
ブラジル人の生活のたのしみ方は、日本人が以って範とすべきである。住宅地は一軒毎に様式がちがっていて、超モダン建築あり、ポルトガル風あり、スペイン風あり、イタリア風あり、これに沿うて歩く行人の目をたのしましめる。サン・パウロ中心地でも大建築は勝手邦題な形をしていて、建築家の夢がそのまま現実に生かされている。
「旧教安楽—サン・パウロにて」
~同上書P188
アバウトな安心感というものを三島はブラジルの都市に当時持ったようだ。彼はこの、昭和27年3月5日の朝日新聞に掲載されたエッセーを次のように締め括る。
私はブラジル人を深く愛する。私は好んでブラジルの放埓な面だけを書いたようだが、このたいはいの影のない明るい国の光りの下には、重いゴシック様式のカトリック道徳が沈殿しているのである。ファナティシズムと偽善との二つの危険から、この厳しい面持をした寛容な母親は、わが子を抱擁して守っている。そして若者たちが、日曜日の教会の前へ敬虔な顔をして女あさりに集まってくるのを、微笑を以ってゆるしているのである。
~同上書P190
道徳があれば、そこにあるのは真の意味での寛容ということなのか。母なる慈しみというものを三島はブラジルに見たのだろう(母性に飢え、母性を求め続けたあくまで三島流だけれど)。おそらくピリスが憧れたのも世界の矛盾と対峙する赦しの微笑こそだ。ショパンの遺作たちが泣く。ピリスのショパンは静かで、そして優しい。