朝比奈隆指揮新日本フィルのベートーヴェン「フィデリオ」抜粋(1994.11&12Live)を聴いて思ふ

その人がその場に現れるだけでオーケストラの出す音が変わるという指揮者がいるそうだ。大袈裟な風説紛いのものもあろうが、あながち嘘ではないように思う。

20年前、1997年の朝比奈隆御大と宇野功芳さんとの対談に次のような箇所がある。

宇野 先生の《パルジファル》をコンサート形式でもいいから聴きたいという意見を多く聞くんですが・・・。
朝比奈 《パルジファル》もそうですが、今、《ワルキューレ》の第一幕を演奏会形式でやろうと提案しているんです。
宇野 それは大阪でですか。
朝比奈 今、提案しているのは新日本フィルです。
宇野 それは楽しみですね。
朝比奈 歌手は三人いればいいんですから。ちょうど二時間ぐらいで、最後はプレストで華やかに終わる。
宇野 いいですよね。ぜひやっていただきたいですね。
朝比奈 音楽に動きがほとんどないから座ったままでできます。最初のラブシーンだってほとんど動きがない。能みたいに向かい合って立っていればいい。イタリア・オペラのような、抱き合って、ひっくり返ったりするようなものじゃないですから、非常に日本的だと思うんですよ。
宇野 《パルジファル》は無理ですかね。
朝比奈 《パルジファル》は、そう簡単にはいきません。特に最後の方が大変なんです。音楽は素晴らしいですけれど・・・。長さからいえばちょうどいいですね。でも《指環》を全部やったんですからやれないことはない。
宇野 ぜひお願いしたいですね。
ONTOMO MOOK「朝比奈隆―栄光の軌跡」(音楽之友社)P71

結果的に「パルジファル」はもちろんのこと、「ワルキューレ」第一幕も舞台にかけられることはなかったが、果たしてあの頃、ある意味名実ともに絶頂にあった朝比奈御大がコンサート形式であるにせよオペラに果敢に挑戦しようと試みていたという事実が興味深い。

その3年前、昭和女子大学人見記念講堂において、実相寺昭雄さん演出の下繰り広げられた「フィデリオ」が部分的であれようやく陽の目を見たが、(外山雄三さんの協力なしには成立しえなかったという)この曰くつきのコンサートが、冒頭の「レオノーレ」序曲第2番から間違いなく朝比奈のベートーヴェンの音であることに僕は驚いた。

ところで、新日本フィルの当時の事務局長であった松原千代繁さんが次のような逸話を披露されている。

やがてベートーヴェンの「フィデリオ」に思いが及び、先生にもご相談すると、「あれだけベートーヴェンの交響曲を振っているのに、オペラは出来ませんとは言えんなあ~」とおっしゃり、実現に向けて準備を進めた。
FOCD9749ライナーノーツ

朝比奈御大は言外にはっきりと「できない」と言っているのである。
なるほど、以前から耳に入っていたのは、御大は全曲通して完璧に棒を振ることができず、そこで外山さんが全面的にフォローすることで公演が叶ったという裏話。確かに、先に特典映像としてリリースされていた「フィデリオ」序曲を確認すると、せり上がった指揮台に座して指揮をする御大の足下には外山さんの姿がはっきりと映っており、御大とオーケストラの動きを最大漏らすことなく追っているよう。

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」から序曲集&抜粋
・「レオノーレ」序曲第2番作品72a
・「フィデリオ」序曲
・行進曲(第1幕第6番)
・レチタティーヴォとアリア「おぞましい悪党よ!急いでどこへ行こうというのです?/来て下さい、希望よ」(第1幕第9番)
・「レオノーレ」序曲第3番作品72b
河野和美(ソプラノ)
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(1994.11.29&12.1Live)

舞台裏がたとえそうであったとしても、この「フィデリオ」は間違いなく朝比奈隆のベートーヴェンだ(朝比奈の場合もその存在自体がもはや別格だったのだと思う)。特に、荒削りの序曲第2番の、重心の低い、そして堂々たる風趣は、全盛期の朝比奈御大の真骨頂(影武者として機能した外山さんのそのあたりのコントロール力は抜群なのだと思う)。また、序曲第3番にある、思い入れたっぷりの表情と歌には、御大のベートーヴェンへの心底の愛情が刻み込まれるよう。

確かチケットの入手に手間取ったのだと思う、この公演を観ることができなかった僕にとって、何より全曲を聴くことができない隔靴掻痒の感。願わくば、第2幕冒頭のフロレスタンのアリア「神よ、ここは何という暗さなのだ!」(第11番)やフィナーレ「万歳!この日この時」(第16番)を聴いてみたいもの。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2 COMMENTS

雅之

宇野さんの音楽評論でお決まりの貶し言葉に、若い世代があまり使わない「小賢しい」がありましたね。逆に誉め言葉は「小賢しくない」。そして、宇野さんと彼に感化されたクラヲタにとって朝比奈先生は、「小賢しくない」筆頭の指揮者でした。

ドラマ「逃げ恥」も、終盤に向かって「小賢しい」とは何かが、テーマのひとつになっていきます。

※(自分を小賢しい女だなどと卑下するヒロイン、森山みくりに対し)津崎平匡の台詞

・・・・・・小賢しいって何ですか? 言葉の意味は分かるんです。小賢しいって相手を下に見て言う言葉でしょ。僕は、みくりさんを下に見たことはないし、小賢しいなんて思ったこと、一度もありません。・・・・・・

https://www.amazon.co.jp/%E9%80%83%E3%81%92%E3%82%8B%E3%81%AF%E6%81%A5%E3%81%A0%E3%81%8C%E5%BD%B9%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%A4-Blu-ray-BOX-%E6%96%B0%E5%9E%A3%E7%B5%90%E8%A1%A3/dp/B01N7DDF7N/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1492421932&sr=1-1&keywords=%E9%80%83%E3%81%92%E3%82%8B%E3%81%AF%E6%81%A5%E3%81%A0%E3%81%8C%E5%BD%B9%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%A4

返信する
岡本 浩和

>雅之様

ここまでドラマ「逃げ恥」を推されると観ないわけにはいきません。(笑)
ありがとうございます。

ところで、「小賢しい」筆頭って誰でしたっけ?
カラヤン?
それとも小澤?

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む