ヨッフム指揮ベルリン・フィルのブラームス交響曲第1番&3番(1953.12録音)を聴いて思ふ

オーケストラは、彼の死がまったく信じられなかった。仲間数人と輪になって立ち尽くしていると、「彼がこの世にいないなんて・・・仕事を変えたいよ」と誰かが言った。その言葉は当時と同じように、今でも私の胸を打つ。想像してみてほしい―ブラームスやベートーヴェンや、すべての交響曲がまだ存在するのに、何百人もの指揮者がいるのに、突然、何もかもすべてが失われたように思えたのだ。
ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P229

当時のベルリン・フィルのティンパニ奏者であったヴェルナー・テーリヒェンによる回想。
団員にとって、否、その頃のドイツ国民にとってヴィルヘルム・フルトヴェングラーの存在とは何ものにも代え難い大きなものだったということ。
フルトヴェングラーが存命当時のベルリン・フィルの音は、他の誰が棒を振ってもフルトヴェングラーの(ような)音がした。「ゆらぎ」のある、何とも曖昧なその音響は、とても人間的で、時に魂を揺さぶるほどの灼熱をほこり、時に人々を瞑想に誘う静けさを秘めていた。

オイゲン・ヨッフムによるブラームスのハ短調交響曲。
第1楽章ウン・ポコ・ソステヌート―アレグロにおける圧倒的重みと、第2楽章アンダンテ・ソステヌートの濃厚な粘りと同時に熱を帯びたうねりを持つ静かな祈りは、フルトヴェングラーのそれと聴き紛うほど。軽快で優しい第3楽章ウン・ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソを経て、終楽章序奏での(例のクララに贈ったという)ホルンの旋律の手前、テーリヒェンによるティンパニの連打の血の滾る音に胸が躍る。また、主部で主題を奏でる弦楽器群の暗いながら艶のある響きに感涙。そうして、音楽が進むにつれますます輝きを増すオーケストラの響きは、コーダに至りアッチェレランド、金管群は大爆発し、怒涛の如く締め括られる。

ブラームス:
・交響曲第1番ハ短調作品68
・交響曲第3番ヘ長調作品90
オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1953.12録音)

ヘ長調交響曲では、まるで(フルトヴェングラーの)オーケストラが自主的に音楽を生み出すかのよう。音楽は常に揺れ、うなりをあげ、沈思黙考、有機的な響きを創出する。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオの何という厳しさ。また、第2楽章アンダンテの何という優しさ。そして、第3楽章ポコ・アレグレットは意外にあっさりさりげなく奏でられ、終楽章アレグロで抑圧されていたものが一気に噴き出すかのように音楽は豪快に蠢き、そして有機的に発露するのである。名演だ。

ちなみに、この頃、つまり死の1年前のフルトヴェングラーは多忙を極めていた。

フルトヴェングラーは1952年11月、病気の回復後はじめてウィーンに登場したとき、熱狂的な拍手を浴びた。数か月後の1953年1月23日、彼はウィーンでベートーヴェンの《第九》を演奏している最中に倒れ、聴衆は騒然となった。しかし2月8日にはもうベルリンで棒を振っていた。彼はここで三回の演奏会をこなした後、ウィーンへ飛び、2月15日の演奏会に姿をあらわした。
彼は憑かれたように演奏会場から演奏会場へと駆けまわり、後から後へと録音を行なった。1953年10月26日から11月27日にかけては、ローマで《指環》の全曲録音を果たしたが、これは頑強な健康の持ち主ですらほとんど理解不可能な仕事だ。とくにイタリアのオーケストラはこの曲をこれまで演奏したことがなかったから、なおさらのことである。録音が終わるとまたベルリンとウィーンにとって返した。そのほんのわずかな隙に、彼は《交響曲第3番》の作曲に骨身を削った。
ルーペルト・シェトレ著/喜多尾道冬訳「指揮台の神々―世紀の大指揮者列伝」(音楽之友社)P251

文字通り命を削っての八面六臂の活躍。最晩年のフルトヴェングラーの憑かれた行動をベルリン・フィルの面々は何を思って見ていたのだろう?

 

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4 COMMENTS

雅之

ちょっとヨッフムには気の毒なブログ本文だと思いました(笑)。まあ、当時のベルリンPOのパート譜にはフルトヴェングラーが指示した解釈の書き込みがいっぱいあったでしょうし、ヨッフム以外の指揮者との録音でもベルリンPOがフルトヴェングラーの音を出していたのは確かでしょうがね・・・。

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岡本 浩和

>雅之様

フルトヴェングラーのスタジオ録音と実演のテンポのあまりの差を指して、実演では燃えた彼がスタジオでは常に冷静だったという逸話が残されていますが、あれは単純に当時の録音技術ではテンポを遅くしないと明確に録音できなかったという話があります。
聴く側はいろいろと妄想、空想して神話を作りがちですが、意外に真実は現実的だったりします。

雅之さんのおっしゃることはそのとおりですが、夢がありません・・・。(笑)
確かにヨッフムには気の毒ですが。

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雅之

あっ、仮に岡本様が指揮したとしてもフルトヴェングラーの音が鳴ったってこと?

そりゃ夢がありますわ(笑)。ヨッフムなんてどうでもいい指揮者ですよね(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

いやいや、ヨッフムがどうでもいい指揮者だなんて一言も発してませんよ。(笑)
素晴らしい指揮者です。
それに、僕は指揮の技術がそもそもありませんから・・・。

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