グールドのバッハ「インベンションとシンフォニア」(1963&64録音)を聴いて思ふ

患者たちは自分の出生時の出来事をこまごまと語った。
そこには赤ん坊としての感情や感想も含まれていた。「赤ん坊」の思考は思いもよらないほど成熟しており、みな、自分なりの個性豊かな話をした。親を愛し気づかっていた。人格や性格に未発達な幼稚な感じは微塵もなく、年齢を超越して最初からそのままのかたちでそなわっているように見えた。
デーヴィッド・チェンバレン著/片山陽子訳「誕生を記憶する子どもたち」(春秋社)

胎内記憶というものがあるそうだが、残念ながら僕にはそれがない。
以前、映画「かみさまとのやくそく」を観て、驚いた。
もちろん、その前からそういうものが実証されていることを僕は知っていた。

胎児が脳の発達するずっと前から知性を発揮していることや、赤ん坊がすでに多くの能力を身につけて生まれてくることは、多くの新しい発見によって証明されている。学習や記憶、個性の表現、コミュニケーションの能力などがその良い例である。私は、こうした非肉体的な、目に見えにくい能力こそ、脳ではなくこころの産物と理解するのが最も適切と考えている。
~同上書P279

かれこれ30年も前に出版された書物ゆえ、今はこの分野にももっと先端の発見や研究成果があることだろうが、確かに先述のドキュメンタリーに出演する子どもたちの言葉を聞く限りにおいて、そのことは間違いないのだと思う。

グレン・グールドがバッハの「2声のインベンションと3声のシンフォニア」を録音したのは、1963年12月と1964年1月及び3月のこと。それは、ちょうど僕の父方の祖母が亡くなり、また、僕が出生した直前のことでもある。ちなみに、僕が母の胎内にいる頃、両親がグールドのこの録音に触れていたわけでもなく(両親にそういう趣味はなかったし、そもそも音盤リリース前)、偶々ニューヨークのスタジオで、かのピアニストがバッハのこの練習曲と対峙していたことを知るにつけ、何だか不思議な親近感を覚えたに過ぎない。
ただ僕にはまったく関係のない、その事実の一致がただ単に嬉しいだけだ。

この、いかにもグールドらしい風変わりだが、説得力のある演奏。
そしてまた、相変わらずの執拗な(?)鼻歌と、妙にうるさい椅子の軋む音。
何より、調性の同じインベンションとシンフォニアを組み合わせ、独自に並べかえたグールドに拍手を送りたい。

J.S.バッハ:
・2声のインベンション第1番ハ長調BWV772
・3声のシンフォニア第1番ハ長調BWV787
・2声のインベンション第2番ハ短調BWV773
・3声のシンフォニア第2番ハ短調BWV788
・2声のインベンション第5番変ホ長調BWV776
・3声のシンフォニア第5番変ホ長調BWV791
・2声のインベンション第14番変ロ長調BWV785
・3声のシンフォニア第14番変ロ長調BWV800
・2声のインベンション第11番ト短調BWV782
・3声のシンフォニア第11番ト短調BWV797
・2声のインベンション第10番ト長調BWV781
・3声のシンフォニア第10番ト長調BWV796
・2声のインベンション第15番ロ短調BWV786
・3声のシンフォニア第15番ロ短調WV801
・2声のインベンション第7番ホ短調BWV778
・3声のシンフォニア第7番ホ短調BWV793
・2声のインベンション第6番ホ長調BWV777
・3声のシンフォニア第6番ホ長調BWV792
・2声のインベンション第13番イ短調BWV784
・3声のシンフォニア第13番イ短調BWV799
・2声のインベンション第12番イ長調BWV783
・3声のシンフォニア第12番イ長調BWV798
・2声のインベンション第3番ニ長調BWV774
・3声のシンフォニア第3番ニ長調BWV789
・2声のインベンション第4番ニ短調BWV775
・3声のシンフォニア第4番ニ短調BWV790
・2声のインベンション第8番ヘ長調BWV779
・3声のシンフォニア第8番ヘ長調BWV794
・2声のインベンション第9番ヘ短調BWV780
・3声のシンフォニア第9番ヘ短調BWV795
グレン・グールド(ピアノ)(1963.12.6, 11, 19 &1964.1.2, 3.18, 19録音)

グールドの手にかかるとどんな音楽も奇蹟的な響きを魅せるのだから堪らない。
バッハの音楽が四方八方に広がり、50余年を経ても決して古びない永遠性を獲得する。

こうやって、美しい春の夜に、何等の方針も立てずに、あるいてるのは実際高尚だ。興来たれば興来るを以て方針とする。興去れば興去るを以て方針とする。句を得れば、得た所に方針が立つ。得なければ、得ない所に方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。これが真正の方針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひるのは正当防禦の方針で、こうやって観海寺の石段を登るのは隨縁放曠の方針である。
夏目漱石「草枕」(新潮文庫)P132

閃くまま、なすがまま、ありのまま・・・。

 

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