バーンスタイン指揮ウィーン・フィルのモーツァルト後期交響曲集(1984-85Live)を聴いて思ふ

晩年のバーンスタインの遺産の中でも、指折りのひとつ。
19世紀的浪漫の匂い薫る濃密なヴォルフガング・アマデウス。重厚でありながら、しかし、清楚で瑞々しいモーツァルト。

水にまつわる物語を読んで、透明な、穢れのないモーツァルトの人間的な遊びを思った。

それにしても淀川は、どこまでも人間くさい川であった。あまりにきめこまかく人々がかかわり合ってきたからこそ、湖のわずかの水位の変化も、とてつもない影響を、流域のすみずみにまでくりひろげさせることになった。
「文化」(culture)とは、自然(nature)に対する、「耕す」(cultivate)という語である。とすれな、淀川とは紛れもなく、「耕された川」であった。
富山和子「水の文化史」(中央公論新社)P115

人類に不可欠の水。人間の浅薄な思考では到底簡単には解くことのできない大自然というシステムの叡智。川は生まれた最初から完全だったのだろう。
同じように登場以来、「あまりにきめこまかく人々がかかわり合ってきた」モーツァルトの妙なる音楽。彼はまさに大自然を含む宇宙を耕し、文化文明に大いに寄与した天才だった。

レナード・バーンスタインが練りに練った演奏は、バーンスタイン色に染まったどこか恣意的なものも多かったが、このモーツァルトは別。自然の息吹を感じさせる名演奏。

モーツァルト:
・交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
・交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」
・交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」
・交響曲第39番変ホ長調K.543
・交響曲第40番ト短調K.550
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1984-85Live)

アマデウス6態とでもいうのか、どの作品も喜怒哀楽の表情を保ち、一方で外面的様相を異にする傑作たち。音楽のあまりの純粋さと奥深さにあらためて驚嘆せざるを得ない。
ハ長調K.551「ジュピター」の堂々たる威風、また実に柔和な音調。第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェに鼓舞され、慟哭する第2楽章アンダンテ・カンタービレに思わず心震える。それにしても終楽章モルト・アレグロの理想的なテンポと圧倒的解放!
また、ハ長調K.425「リンツ」の深沈たる魔性(ここには「ドン・ジョヴァンニ」のエロスの先取りがある)。以前はテンポの緩やかさが気になったが、年齢を重ねた今聴くと、これほどバランスのとれた、理に適った造形はないように思われる。特に第1楽章序奏アダージョから主部アレグロ・スピリトーソにかけての自然な、同時に感情移入たっぷりの表現は80年代のバーンスタインならでは。
そして、ニ長調K.504「プラハ」の、陰陽一にする神々しさ、ゆったりと表情豊かに歌われる第2楽章アンダンテの美しさ。

白眉は、ト短調K.550。絶美のヴォルフガング・アマデウス。
一部の隙もない堅牢な形はこれ以上ない器であり、そこに入る音楽はまさに水のように自由で透明で、明るい。魂の髄にまで染み入る第1楽章モルト・アレグロよ。あるいは、涙にむせぶ第2楽章アンダンテよ。いずれもあまりに人間的。そして、一切の甘さを排除した第3楽章メヌエットの深刻さ、すべてをかなぐり捨て、疾走する終楽章アレグロ・アッサイの歌。

 

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