ここ数日で空氣が大幅に変わったように感じる。地球は徐々に、しかし確実に次元上昇しているのだろう。文字通り「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」。
今日のNHK交響楽団第1899回定期演奏会での、鈴木優人のソロ・アンコールは、「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」だったようだ。
自然に抗うことなく、流れに任せて進むことだと、中世の人々は知っていた。
科学万能主義の、信仰を失った現代人は、大自然を支配しようとした。しかし、自然の摂理を超えることなど土台無理な話。ならば、今や目覚める(べき)人は順に目覚めるのだ。
バッハ氏の演奏で父に一番大きな印象をあたえたのは、彼の演奏ぶりが静かでまた軽やかであることでした。彼の足はペダルの上をまるで羽が生えているように上下に飛びまわるのですが、しかも彼は少しも身体を動かしているとは見えず、たいていのオルガニストたちがするように、身体をひねくったりはしませんでした。彼の演奏は、見たところ楽々と奏いていて、少しも無理がなく、それでいて完璧でありました。
(アンナ・マグダレーナ・バッハ/山下肇訳「バッハの思い出」)
~「音楽の手帖 バッハ」(青土社)P52
バッハの演奏法は、自然と一体で、理に適っていたということだ。
バッハの魂を引き継ぐ孤高のオルガニスト、ヘルムート・ヴァルヒャの「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」BWV645。美しくも自然体の、同時に信仰を失わない完全さ。最高だ。
J.S.バッハ:オルゲルビュヒラインから
・第39曲「義認のコラール」BWV638(1952録音)
・第40曲「聖変化のコラール」BWV639(1950録音)
・第41曲~第45曲「慰めのコラール」BWV640-644(1950&52録音)
J.S.バッハ:6つのコラール(シュプラー・コラール)
・第1曲「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」BWV645(1947録音)
・第2曲「われいずこにか逃れゆくべき」BWV646(1947録音)
・第3曲「尊き御神の統べしらすままにまつろい」BWV647(1947録音)
・第4曲「わが心主をあがめ」BWV648(1947録音)
・第5曲「われらとともに留まりたまえ」BWV649(1947録音)
・第6曲「イエスよ、いまぞ汝御空より降り来たりて」BWV650(1947録音)
J.S.バッハ:18のコラールから
・第1曲「来ませ、聖霊、主なる神よ」BWV651(1950録音)
・第2曲「来ませ、聖霊、主なる神よ」BWV652(1952録音)
・第3曲「バビロンの流れのほとりに」BWV653(1952録音)
・第4曲「装いせよ、わが魂よ」BWV654(1952録音)
・第5曲「主イエス・キリストよ、われらをかえりみたまえ」BWV655(1950録音)
・第6曲「罪なき神の小羊」BWV656(1950録音)
・第7曲「いざやもろびと、神に感謝せよ」BWV657(1950録音)
ヘルムート・ヴァルヒャ(オルガン:聖ペテロ&聖パウロ教会)
言葉に頼らず音に真実を託したことがバッハのミソ。
言霊以上に音霊が、人々の心に、魂に直接に響くことを彼は知っていた。
同時に、ヘルムート・ヴァルヒャのバッハへの愛。心から感応する盲目のオルガニストの、信仰の証とでもいえば良いのだろうか、安寧のその響きは、数多の情報に埋もれる現代の人々の魂を癒す。18のコラールにある懐かしさ。聖なる響きの中に、人間性の発露を垣間見るのは、ヴァルヒャのヒューマニズムの反映か。
私たちの結婚を祝って、彼は私のために歌を一つ書きました。それを彼は後に、他のものと一緒に私の楽譜帳に集めておいてくれました。
いとし清らの新妻よ
君がしもべの今日の幸福
花とかざりし装いの
君がすがたを仰ぎては
誰か心のたのしさに
寿がざらめ君が幸福
あふるる胸とくちびるの
わがよろこびを問いたまえ。
これが、わたしの結婚への贈物、そしてその後に来たるべき幸福の前ぶれでございました。
(アンナ・マグダレーナ・バッハ/山下肇訳「バッハの思い出」)
~同上書P54-55
ヴァルヒャはバッハの生まれ変わりなのかもしれないとすら思える。
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