ブダペスト弦楽四重奏団 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第16番作品135(1960録音)

弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135。
ベートーヴェンのまとまった作品としては最後のもの。
簡潔に、そしてより透明に。不調をおしてなお豊かな創造力に驚きを隠せない。

ベートーヴェンは数多くの不滅の名曲を残す一方で、一生涯幾多の病魔と闘い続けた。その強靭な闘争心には驚愕せざるを得ないが、彼の英雄魂は正しくそのうえに成り立っている。
ベートーヴェンが若くして難聴疾患を患っていたことは周知の通りであるが、彼の身体は難聴以外にも多くの病魔(下記)にさいなまれていた。彼が治療を受けていた医師達のアドヴァイスを受けて、多くの保養地に赴き病気治療にあたったが、当時の医学レベルでは限界があったとも推測され、生涯にわたって病魔と闘う日々であった。
ベートーヴェンが患っていた病名(ベートーヴェンの没後、病理解剖の結果判明した病気を含む):
天然痘(若い頃に患った。視力が弱くなり、顔に傷跡が残った)、難聴、近視、喘息、痛風、リューマチ、胆のう疾患、胃弱、疝痛、腸炎、腎臓、膵臓、肝硬変(=死因)。
肝硬変が直接の死因であったと推測されるが、それはベートーヴェンが酒好きで、なかでもワイン(特に、あまり質の良くなかったハンガリー産ワイン)の飲み過ぎが原因であったともいわれている。

藤田俊之著「ベートーヴェンが読んだ本」(幻冬舎)P268-269

様々な苦悩との闘争こそがベートーヴェンの創作のいわば発火装置だったのかもしれない。
晩年の音楽にある霊的な、僕たちの悟性に働きかける官能(?)は、世俗を超越した聖なるものだ(それゆえにとてもわかりにくい)。心を、魂を研ぎ澄ませて対峙せよと楽聖は語りかけるようだ(特に緩徐楽章)。

・ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135
ブダペスト弦楽四重奏団
ジョセフ・ロイスマン(ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミーシャ・シュナイダー(チェロ)(1960録音)

ブダペスト弦楽四重奏団の新しい方の全集からの1枚。第16番ヘ長調は、楽聖への思い入れたっぷりで、充実の音楽を聴かせるもの。やはり第3楽章レント・アッサイ,カンタンテ・エ・トランクィロの安寧が美しく、素晴らしい。
あるいは、それこそベートーヴェンの辞世の言葉といわれる「諸君、喝采を、喜劇は終わった」を髣髴とさせる第2楽章ヴィヴァーチェ。内から湧き出る道化(?)の生き生きとした表情は、ベートーヴェンの生への希望を表わすよう。

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4 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。ずっと以前、私の周囲に、ベートーヴェンなら指揮者はフルトヴェングラー、ピアニストはケンプ、カルテットはブッシュに限る、という人たちがありまして、ブダペスト・カルテットは「トンコレラ四重奏団」などという名前をつけられ、貶められていました。なんでも「新即物主義」だということでやり玉に挙がっていたように思います。それは、感情や思惟を入れず、楽譜に書かれている通りに演奏する主義のことだと聞きましたが、当時は「そんなこともあるんだ。」くらいで、検証もせず今日に至りました。この度ブダペストの16番を聴く機会をいただきましたら、楽譜通りの無味乾燥とした演奏とは程遠いと感じました。
 少しおどけたような、真面目なような1楽章、何かにかられて疾走しているけど途中で何かが立ちふさがって急ブレーキ、それでも懲りずに何度でも走り出すような2楽章、3楽章は人生をしみじみと振り返っているような、安らかさと感謝に満ちた、ベートーヴェンの白鳥の歌にふさわしい曲、特に最後の部分の哀切と愛しさは落涙ものです。4楽章は、最初に“Es muss sein?”(かくならねばならないか?)と問いかけ、高らかに”Es muss sein!”(かくあらねばならぬ!)と嬉々として宣言し、確信に満ちて終わる… 岡本様が書かれているように思い入れのこもった演奏では? 試しにブッシュ・カルテットも聴いてみましたが、なるほど第3楽章はたっぷりと厳かで(ブダペストより3分長い)、その思い入れには並々ならぬものを感じますが、全体的にはブダペストの方が人間味がある感じがしました。
 ここから悪乗りですが、第4楽章の”Es muss sein! ””Es muss sein!”のあとに出て来るどこか呑気なメロディーが私には「あの山こえーーてー、〇〇〇に行こう」と聞こえてしょうがありません。〇〇〇は決まっていなくてドイツだったり、彼岸だったりしてもいいのですが。しょうもないことを書き散らしてすみません。この機会をありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

特に若い頃は、様々な演奏を採り上げて喧々諤々と議論し、演奏の評価をしたがるのがクラヲタの常ですが(笑)、もはや最近はそういうこと自体がとてもナンセンスだと思っております。ましてやアマチュアならいざ知らず、何十年というキャリアを持つその道のプロフェッショナルの演奏を、真面に楽器の弾けない僕などが批評することなどもってのほか(笑)。この世に存在する(少なくとも聴き継がれてきている)録音はすべて価値あります。そうでないものは淘汰されますから。
ということで、ブダペスト弦楽四重奏団の演奏は、新即物主義だか何だか知りませんが、間違いなく名演奏です。そもそも人間が解釈する以上楽譜通りというのはあり得ません。先入観を捨て、無心に耳を傾けることが大切ですね。

ちなみに、僕には「あの山こえーーてー、〇〇〇に行こう」という歌がよくわかりません(知らないと言った方が正しいです)。すいません。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 真摯にお応えくださり、恐縮です。「この世に存在する(少なくとも聴き継がれてきている)録音はすべて価値ある」、「ブダペスト弦楽四重奏団の演奏は間違いなく名演奏」、「そもそも人間が解釈する以上楽譜通りというのはあり得ない」、本当にそのとおりですね。私も素晴らしい演奏だと思いました! 
 読んだ資料に、「ブダペスト弦楽四重奏団の活動当初は、19世紀からのロマン主義的な歌いまわしを避け、楽譜通りに何の感情も入れず弾く、という新即物主義的な解釈を完膚なきまでに貫いていており、その録音はドライで機械的なものだったが、ステレオ時代になって丸くなり、晩期は即物主義とは言えなくなり、1960年代はさらに機械化を推し進めた団体が珍しくなかったこともあり、ブダペストの味わいは追随を許さないものになった」というようなことが書いてありましたので、初期は確かに無味乾燥と思える演奏で、受け入れがたいと思う人たちもいたのでは?と思います。また「ブダペストはそれまで第一ヴァイオリンが圧倒的に優位だったカルテットのありかたを、各声部平等主義に変え、現代の演奏スタイルに大きな影響を与えた」のだそうです。演奏スタイルも時代と共に変わるのですね。

 すみません。「あの山こえて~」は私の浅はかな頭の中で生まれた歌詞で、そんな歌は存在しません。ただ、あのメロディーは歌いたくなる旋律なので、ベートーヴェンが楽譜の音符の下に”Muss es sein?””Es muss sein!”と書いたように、ここでも何か歌詞をつけて歌いながら作ったのではないか、とふと思いました。実に我田引水的思いつきです。本当に失礼しました。

 

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岡本 浩和

桜成 裕子 様
この世のすべては無常ですからね。当然志向は変わると思います。

>「あの山こえて~」は私の浅はかな頭の中で生まれた歌詞で、そんな歌は存在しません。

そうでしたか!(笑)
てっきり既存の曲かと思い、いろいろと思い巡らせましたよ。

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