ロジェストヴェンスキー指揮ソビエト国立文化省響のブルックナー第3番(1984-88録音)を聴いて思ふ

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
~松尾芭蕉「おくのほそ道」

何にせよ、僕たちは時間のなかの旅人だ。
ああ、無常。
世界は刻一刻と変化する。
僕たち一人一人も然り。

人に認知され、受け容れてもらえてこその音楽作品であることがわかっていたから、彼は自分の才能に自信を持ちながらも苦悩した。
アントン・ブルックナーの改訂癖は悪習なのか?
否、人間の思考や感情が一定でない以上、変化は当然。
評価の上で重視すべきプロセスがこれほど明確に見える作曲家はほかにいまい。
奔騰する楽想をありのままに書きつけ、野生的でありながら宇宙的拡がりを持つ、いわゆる第1稿の魅力を僕は思い切り堪能した。また、第2稿は、初稿の無駄を削ぎ、幾分の整理をしながらも個性を埋没させないブルックナーの本懐であるゆえ、実演でなかなか触れることのできないことがいかにも残念。そして、後期の手慣れた作曲法を駆使しての第3稿は、実にソフィスティケートされた音楽に変貌しており、(特に他稿と比較して)その充実ぶりに度肝を抜かれるほど(しかし、あまりに整理され過ぎてはいないか?)

ロジェストヴェンスキーによる、交響曲第3番の幾種にも及ぶ稿の演奏を聴いて、僕は作曲家の孤独な思索と、周囲の(余計な?)思い遣りとの拮抗を想像した。世間の評価と常に戦い続けたブルックナーは、ユニークさを失うことなく、それでも自作を世間に認知させたい欲求から弟子たちの意見をできるだけくみ取ろうとした。

(1873年)9月初め、ウィーンへの帰路にバイロイトに寄り、憧れのワーグナーを訪ねた。その際交響曲第2番と第3番の総譜を持参し、献呈を申し出た。ワーグナーは、音楽に尋常ならざるものを感じたのか、スコアをゆっくり見たいから夕方まで待ってほしいと返事した。・・・独善的で自意識の塊のようなワーグナーは同時代の作曲家には全く関心を示さなかったが、ブルックナーだけは例外だったようで、その後何度も献呈された楽譜を取り出して楽しんだという。
~横原千史BVCX-38003-4ライナーノーツ

いわばワーグナーからの太鼓判。これ以上のものはない。
自身の音楽は「未来の音楽」だとブルックナーは知っていた。
だから彼は、死の4年前、自作の交響曲の手稿をウィーン宮廷図書館に預け、その包みに「未来のために」と書き入れた。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
~鴨長明「方丈記」

アントン・ブルックナーの交響曲にかくの如くの無常を思う。

ブルックナー:
・交響曲第3番ニ短調(1877年第2稿)(1984録音)
・交響曲第3番ニ短調(1873年第1稿)(1988録音)
・交響曲第3番ニ短調~第2楽章「アダージョ」(1876年稿)(1985録音)
・交響曲第3番ニ短調(1889年第3稿)(1988録音)
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮ソビエト国立文化省交響楽団

冗長すぎるきらいはあるものの、ワーグナーの主題がそこかしこに木霊する第1稿の魅力は真に捨て難い。例えば、ロジェストヴェンスキーの場合、第3楽章スケルツォをかなり遅めのテンポで振っているが、これは主部提示部の旋律に応答するトランペットの旋律をより強く生かすための方法なのだろうか、とにかくどの瞬間も真新しく刺激的で、また美しい。
あるいは、1877年の第2稿のバランスのとれた音響は、ブルックナーの表現したかったすべてが過不足なく音化された最高の形であろう。ただし、特に終楽章におけるソビエト国立文化省響の金管群がうるさ過ぎるのはいかがなものか?(録音の関係かもしれないが)
珍しいのは、第2楽章アダージョのみの第1稿と第2稿の中間的な1876年稿の収録。この天国的な清らかさと崇高さは、またブルックナーの信仰心の証し。

つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
~吉田兼好「徒然草」

「徒然草」のこの冒頭に、ブルックナーの心を思う。

春は曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく山際(やまぎわ)、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
~清少納言「枕草子」

あるいはまた、季節の移ろいを見事に表現した清少納言の筆に、同作品の異稿をそれぞれ個性的に再現したロジェストヴェンスキーの棒を重ねる。
晩春から初夏にかけての今の時期に何と相応しい音楽よ。

当時、ブルックナーの交響曲は、彼の最も親しくしていた友人たち(熱心な音楽愛好家やプロの音楽家)の目から見ても長すぎると思われていた。言うなれば、彼らがユークリッドを手本にして形式を考えていたのに対して、ブルックナーは―ロバチェフスキーを手本にしていたようなものである。ブルックナーの友人たち(中には、ブルックナーを熱烈に崇拝する、フランツ・シャルクとヨーゼフ・シャルク兄弟という優れた音楽家もいた)に悪気がなかったことは間違いない。
(ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(訳:安部美香子)「ブルックナーの交響曲について」)
BVCX-38003-4ライナーノーツ

ブルックナーの視点は凡人の枠を超える(ロジェストヴェンスキーはうまいことをおっしゃる)。

 

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2 COMMENTS

雅之

長大なワーグナーやブルックナーにどっぷりとハマるのは、普段忙しい人たちかもしれないなと思ったりします。そういう意味で「釣り」の趣味と似ているかも。

一昨年観て面白かったテレビドラマ「釣りバカ日誌 新入社員 浜崎伝助」

https://www.amazon.co.jp/%E9%87%A3%E3%82%8A%E3%83%90%E3%82%AB%E6%97%A5%E8%AA%8C-%E6%96%B0%E5%85%A5%E7%A4%BE%E5%93%A1-%E6%B5%9C%E5%B4%8E%E4%BC%9D%E5%8A%A9-DVD-BOX-%E6%BF%B1%E7%94%B0%E5%B2%B3/dp/B0192S0C5I/ref=sr_1_3?s=dvd&ie=UTF8&qid=1493297031&sr=1-3&keywords=%E9%87%A3%E3%82%8A%E3%83%90%E3%82%AB%E6%97%A5%E8%AA%8C

あのハマちゃんが濱田岳で、何と スーさんが西田敏行。このコンビで、4月からは「Season2 新米社員 浜崎伝助」もやっています。

今年の新卒女性社員が研修を終え、5月から私の隣の席に座ります。気が付けば私の長男と同年生まれ! まさに光陰矢の如しです。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

相変わらずの幅広さにため息が出るほどです。

>気が付けば私の長男と同年生まれ! まさに光陰矢の如しです。

吃驚ですね。そういえば雅之さんからコメントを初めていただいたのが
確か2008年3月末だったと思いますので、
かれこれ10年目に入ったということになります。
途中ブランクはありますが、いつも貴重なコメントいただき、勉強させていただいております。
真にありがとうございます。

返信する

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