ポリーニの弾くベートーヴェンの作品106を聴いて思ふ

beethoven_29_polliniとても失礼な言い方だけれど、これはこれで良いものなんだと初めて(?)実感。
ひとつひとつの音符がこうも正確にかつリアルに奏されていると、いかにも機械仕掛けのピアノによる演奏となんら変わらず、これまでは味も素っ気もないと一刀両断していた。天下のポリーニ先生をつかまえて軽口を叩き、偉そうな口上を述べ・・・、まったく不甲斐なし。

第九交響曲のアダージョと比肩する、古今のピアノ音楽の中でも最上の部類に入るであろうアダージョ楽章をもつベートーヴェンの傑作ソナタ作品106。ブルーノ・ワルターの「ベートーヴェンのアダージョを傾聴しなさい」という言葉に触発され、件の第3楽章アダージョ・ソステヌートをじっくり聴いた(もちろんその他の楽章も)。

ベートーヴェンはこの音楽を自発的創造力によって生み出したのではなく、あくまで生活の糧を得るために作曲したものだと言及するが、本人のそんな言葉は無視しても良いのでは・・・。第1主題で一条の光明が差し込む瞬間の「優しさ」と「喜び」には、精神的な充足感があってはじめて書けるようなものだろうに・・・。そして、深い呼吸とともに、この重厚でありながら安らかな音楽が20分近くも継続すること自体が奇跡だ。

やっぱりベートーヴェンは天と地をつなぐという自身の役割を見出していたんだ。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101(1977.1録音)
・ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」(1976.9録音)
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)

それにしてもポリーニは、「ハンマークラヴィーア」ソナタをわずか34歳の時に録音していたということだ。テクニック的にはまったくもって余裕のパフォーマンス。果たしてここに「精神的高み」を感じるかどうかはもはや聴き手次第。ここでもう一度ベートーヴェン自身の言葉を思い出してみる。
「このソナタは苦しい事情の下で書かれた。パンのために書くのはまったく辛いことだ」
(1819年4月19日付フェルディナント・リース宛の手紙)

なるほど。音楽を聴いてどう感じるかは人それぞれ。そして、もちろん弾き手のニュアンスや解釈もそれぞれ。存在するすべてに意味があるとするなら、あとは好みの問題だ。その意味で、この頃の僕は器が一回り大きくなったのか(笑)。どんな演奏でも「あり」だと。
そして、その上で実に感心したのが、技術的にも音楽的にもより難易度が高いであろう終楽章。正直僕はこの偉大なフーガをもつ楽章をこれまできちんとはわかっていなかった。
ようやく少しだけ理解できた気がする。

 


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