バーンスタイン指揮イスラエル・フィルの「エレミア」交響曲&「チチェスター詩篇」(1977.8Live)を聴いて思ふ

bernstein_1_chichester508もしも(魔法使いの)万華鏡みたいに、私の音楽家としての生き方をすっぽり包み込んでしまうような「定式」があるとすると、それは「伝達する」(communicate)という言葉であって、私の生涯はこの単語の中にすっかり取り込まれています。
私は常に「生」、音楽のために捧げられたこの私の人生を愛してきました。生涯、私は人々に「音楽」を「生きる」歓びと苦しみとを「伝達する」こと以外の何物をも追求してきませんでした。
(1989年6月24日付、バーンスタインのエンリーコ・カスティリオーネ宛手紙)
バーンスタイン&カスティリオーネ著/西本晃二監訳/笠羽映子訳「バーンスタイン音楽を生きる」(青土社)

人とのコミュニケーションを大事にし、そしてまた音楽を通して交わることの大切さを告白する最晩年のバーンスタインの言葉は実に重い。彼の創造した作品、あるいは彼が再生した音楽は、それがどんな種類の音楽であろうと「喜怒哀楽」に満ちる。

1953年、マリア・カラスの「メデア」でスカラ座にデビュー、そして圧倒的成功を収めたレナード・バーンスタインは、自身の交響曲第1番「エレミア」終楽章の独唱をカラスに委ねることを夢見ていたという。

彼女(カラス)は私をとても高く買ってくれていましたし、彼女が歌う他のオペラを私が指揮するよう強く働きかけてくれたことを私は知っていますから。もちろん、私は彼女に、当時は実現不可能だったオペラの上演を提案するでしょうし、また特に、私の交響曲第1番でエレミアの「哀歌」を歌ってくれるよう提案するでしょうが。
~同上書P63

もちろんそれはカラスの早期の死によって遂げられることはなかったけれど、確かにそれが実現していたなら、音楽史において大変な出来事となっていたことだろう。

旧約聖書の「哀歌」をテクストにした終楽章ラメンテーションの静謐さ。
音楽の何という素晴らしさ。
クリスタ・ルートヴィヒの歌が厳粛に響く。
バーンスタインは、まさに「生きる歓びと苦しみ」を伝達する。

なぜいつまでも私たちを忘れ・・・
いつまでも見捨てておくのですか・・・
帰らせてください私たちを、主よ、あなたのもとに・・・

バーンスタイン:
・交響曲第1番「エレミア」(1977.8Live)
・チチェスター詩篇(1977.8Live)
フォス:
・ソング・オブ・ソングズ(1986.9録音)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾソプラノ)
ウィーン少年合唱団団員
シェリ・グリーナヴァルト(ソプラノ)
ウィーン・ジュネス合唱団
レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

そして、バーンスタイン屈指の名作である(と思う)「チチェスター詩篇」冒頭のボーイ・ソプラノのあまりの美しさに感無量。

私の立場は単純です。つまり、私にとって、調性は音楽の本質そのものだと言うだけで十分でしょう。私たちはあらゆる実験をすることができ、またすべきですし、音楽言語を現代化できるし、またすべきです。でも、だからといって、音楽そのものを否定することはできません。調性を否定することは人間の本質、人間の基本的な方針や感情を否定することに帰着するのではないでしょうか。愛情や友情や信仰を否定する覚悟ができている人などいるのでしょうか?私に関するかぎり、調性を否定する気など毛頭ありません。そんなことは、後ろから短刀でグサリとやられるのと同じことです。
~同上書P79-80

調性は音楽の本質だとバーンスタインは断言する。
音楽を生きる歓びの伝達だとした彼は、作品の魂が大衆に届いてこそ本物だと考えていたのだろう。それゆえ彼は、ポピュラー音楽、あるいは民族音楽の重要性を掲げ、20世紀後半のクラシック音楽界がポピュラー音楽との接触を失ったことが最大の問題だと指摘した。

嗚呼、すべてが美しく、そしてすべてが敬虔だ。

 

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