「アルノルト・シェーンベルクの音楽第7巻」(1963-66録音)を聴いて思ふ

1960年代半ば、コロムビア・レーベルに録音された「アルノルト・シェーンベルクの音楽第7巻」には、シェーンベルクの晩年、アメリカ時代の作品が収録されている。そのいずれもが鮮烈な印象を僕たちに与え、しかも想像以上に濃密で、かつ温かい音調に満ちており、それこそグールドが言うように、シェーンベルクが「この世にあったもっとも偉大な作曲家の一人であったことを悟る」きっかけとなるものだろうと思う。
「アルノルト・シェーンベルク―ある見方」と題する、シンシナティ大学でのグレン・グールドの講演(1964年)は次の言葉で始まる。

シェーンベルクは半世紀におよぶその驚くべきキャリアのなかで、現代の音楽状況の矛盾をきわめて特異なかたちで身をもってあらわしました。創作歴五十年のあいだにつぎつぎと注目すべき作品を生みましたが、それらははじめ、当代の伝統的な音楽的前提を受け入れて、それによって成長しました。ついでかれはそれに挑戦し、危険にもアナーキーな反発に近づきますが、しかるのち、アナーキーの恐怖に直面し、積み重ねてきた規則によってほとんど過剰なまでに自らを組織化、法則化し、おしまいにはそれまで自分が展開してきた法則の諸体系と、はるかな昔に自ら捨ててしまった伝統的な諸要素との調和を図るに至ったのです。この、受容、拒否、和解というサイクルのなかに、われわれは目をみはるような年を追ってのかれ自身の発展ばかりでなく、二十世紀前半に起こった多くの事柄の基本型を見出します。
ティム・ペイジ編/野水瑞穂訳「グレン・グールド著作集1―バッハからブーレーズへ」P168

「受容、拒否、和解」というサイクルは、確かに音楽に限ったことではない。
合一に至る過程において、すべてには拒絶という苦悩が必要だということだろう。
それにしても、アナーキーな反発に近づいたのち、その恐怖に直面したというグールドの解釈が言い得て妙。
一方、グールドが愛した夏目漱石の「草枕」の、ある件。

こんな考をもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評しては尤も不届きである。善は行い難い、徳は施こしにくい、節操は守り安からぬ、義の為めに命を捨てるのは惜しい。これ等を敢てするのは何人に取っても苦痛である。その苦痛を冒す為めには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜んでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸のうちに籠る快感の別号に過ぎん。この趣きを解し得て、始めて吾人の所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、凡ての困苦に打ち勝って、胸中一点の無上趣味を満足せしめたくなる。
夏目漱石「草枕」(新潮文庫)P146-147

グレン・グールドがシェーンベルクに、そして漱石にシンパシーをもったその所以は、芸術のうちに潜む「悲惨という快感」を、偉大な先達同様彼も体験していたからなのだろうと想像した。

アルノルト・シェーンベルクの音楽第7巻
・弦楽三重奏曲作品45(1966.5.11&12録音)
ジュリアード弦楽四重奏団員
・ナポレオン・ボナパルトへの頌歌作品41(1965.2.3&4録音)
ジョン・ホルトン(朗読)
ジュリアード弦楽四重奏団
グレン・グールド(ピアノ)
・オルガンのためのレチタティーヴォによる変奏曲作品40(1966.2.16録音)
マリリン・メイソン(オルガン)
・ヴァイオリンとピアノのための幻想曲作品47(1964.7.10録音)
イスラエル・ベイカー(ヴァイオリン)
グレン・グールド(ピアノ)
・管弦楽のための主題と変奏作品43b(1963.10.2録音)
ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団

シェーンベルクの作品を分析的に聴くのは、残念ながら僕の手には負えない
しかし、武満徹さんがどこかで語っておられたと思うが、ただひたすら音楽に感応することは僕でも容易くできる。
音楽とは、決して難しいものではないんだ・・・。

例えば、バイロン卿の詩による「ナポレオンへの頌歌」の、研ぎ澄まされたジュリアードの弦楽器の響きと完璧に融合するグールドのいつになく激しいピアノが聴きもの。
また、イスラエル・ベイカーとの幻想曲も明らかにその音楽的主導権はグールドが担っているようで、その磐石の伴奏には作曲家への限りない憧憬が聴きとれる。

 

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4 COMMENTS

雅之

芥川龍之介「侏儒の言葉」から、『幻滅した芸術家』という一文を、グールドと漱石に捧げます(笑)。

・・・・・・或一群の芸術家は幻滅の世界に住している。彼等は愛を信じない。良心なるものをも信じない。唯昔の苦行者のように無何有の砂漠を家としている。その点は成程気の毒かも知れない。しかし美しい蜃気楼は砂漠の天にのみ生ずるものである。百般の人事に幻滅した彼等も大抵芸術には幻滅していない。いや、芸術と云いさえすれば、常人の知らない金色の夢はたちまち空中に出現するのである。彼等も実は思いの外、幸福な瞬間を持たぬわけではない。・・・・・・

同じく芥川龍之介「侏儒の言葉」から、『危険思想』という一文。

・・・・・・危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である。・・・・・・

返信する
岡本 浩和

>雅之様

良い言葉ですね。
芥川は明らかに自分のことを指して言っているようですが・・・(笑)
ただし、幻滅し尽くせば良かったものを、そうできなかったことが彼の弱点だったのだろうと思います。

そういえば、芥川はもちろんのこと、漱石やグールドが鬼籍に入った年齢を、いつの間にか僕も追い越してしまいました。嗚呼・・・。

返信する
雅之

>ただし、幻滅し尽くせば良かったものを、そうできなかったことが彼の弱点だったのだろうと思います。

ドラマ「逃げ恥」から・・・。

・・・・・・何が見えているかわかりませんが、違うものが見えていて当然じゃないでしょうか。僕とあなたはあまりにも違う。・・・・・・津崎平匡の台詞より(笑)。

https://www.amazon.co.jp/%E9%80%83%E3%81%92%E3%82%8B%E3%81%AF%E6%81%A5%E3%81%A0%E3%81%8C%E5%BD%B9%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%A4-Blu-ray-BOX-%E6%96%B0%E5%9E%A3%E7%B5%90%E8%A1%A3/dp/B01N7DDF7N/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1492264951&sr=1-1&keywords=%E9%80%83%E3%81%92%E3%82%8B%E3%81%AF%E6%81%A5%E3%81%A0%E3%81%8C%E5%BD%B9%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%A4

>芥川はもちろんのこと、漱石やグールドが鬼籍に入った年齢を、いつの間にか僕も追い越してしまいました。嗚呼・・・。

因みに、現在の私の歳で亡くなった有名人には、岡本かの子、アレクサンドル・ボロディン、小泉八雲、マリア・カラス、アンドレイ・タルコフスキー、田中好子、萩原朔太郎、なんかがいます(岡本様が詳しそうな人に限定)。まだまだこれからですよ(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

>僕とあなたはあまりにも違う。

はい、失礼しました・・・。

>まだまだこれからですよ(笑)。

確かにおっしゃるとおりです。
ありがとうございます。
しかしながら、今更ながらですが、カラスもタルコフスキーも随分早かったんですね・・・。

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