井上陽水「ガイドのいない夜」(1992)を聴いて思ふ

陽水の歌詞というのはとても不思議で、そこには空間を拡げる力がある。
一般的に言語は物事を拘束するけれど、あの絶妙な(意味不明の)言葉の使い方がまるで魔法のように意識の拡張を喚起するのである。
「東へ西へ」をはじめて聴いたとき、僕は感動した。

〇〇〇〇〇〇夜中に眠れない〇〇〇〇〇〇訳だ
満月 空に満月 〇〇〇〇〇〇いあの娘に逢える
〇〇〇〇〇〇は母親みたい〇〇〇〇〇〇ず
たよりの〇〇〇〇〇〇足で だから
ガンバレ 〇〇〇〇〇〇レ 〇〇〇〇〇〇へ西へ

当り前の状況に「月輪」を描き出す粋。

花見の駅で待ってる〇〇〇〇〇〇思いで逢えた
満開 花は満開 〇〇〇〇〇〇あまって気がふれる
〇〇〇〇〇〇も敗けないくらいによろこんでいるよ
とまどう〇〇〇〇〇〇も出来ない だから
ガンバレ みん〇〇〇〇〇 黒い〇〇〇〇〇〇西へ

ついには喜ぶ黒いカラス(!)を登場させるナンセンス。しかし、そういうところに井上陽水の神髄がある。そして、極めて短い言葉を綴りながら具体的な情景を思い起こさせる描写力。「夏まつり」は懐かしく、また温かい。

〇〇〇〇〇〇 暑い夏
〇〇〇〇〇〇た昔 セミの声
思わず〇〇〇〇〇〇の日が
あゝ今日は おまつり 〇〇〇〇〇〇

何より美しい。

・井上陽水:ガイドのいない夜(1992)

名作「ハンサムボーイ」の直後のセルフ・カヴァー集。
陽水はかく語る。

このアルバム「ガイドのいない夜」の
制作のきっかけになったのは、
私をどこかへ導いてくれそうな
ミュージシャンに出会えたから。
レコーディングが終了できたのは
新しくオープンしたスタジオが自宅のそばで
迷いようがなかったから。
FLCF-30195ライナーノーツ

いかにも彼らしくクールでありながら根無し草の如く剽軽だ。

まっ白な〇〇〇〇〇〇めては飽きもせず
かと〇〇〇〇〇〇せず そんな〇〇〇〇〇〇わりで
僕の〇〇〇〇〇〇ゆく
「白い一日」

近視眼的な情景を見事に巨視的な視点で包み込む言霊の力(作詞は小椋桂)。これこそ井上陽水でなければできない業。
さらには、「結詞」での言葉の選び方のセンスに卒倒。

〇〇〇 〇〇〇
〇〇〇 〇〇〇

〇〇〇〇〇〇ぐるも
立ち止るも
青き青き〇〇〇〇〇〇事

どうしたらこんな詩が生れるのだろう?

それにしても、本多は何と巧みに、歴史から時間を抜き取ってそれを静止させ、すべてを一枚の地図に変えてしまったことだろう。それが裁判官というものであろうか。彼が「全体像」というときの一時代の歴史は、すでに一枚の地図、一枚の絵巻物、一個の死物にすぎぬではないか。『この人は、日本人の血ということも、道統ということも、志ということも何もわかりはしないんだ』と少年は思った。
三島由紀夫著「奔馬(豊饒の海・第2巻)」(新潮文庫)P139

大人びた飯沼勲の冷静な目の反対側にある無邪気さとでもいうのか、少年であるがゆえの一直線の甘さがある意味心地良い。
何だか陽水の言葉にもそういう冷静な無邪気さを僕は感じる。

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2 COMMENTS

雅之

やはり、「楽譜」と「言葉」、根源は一緒だと思います。
楽譜を100人が演奏すれば、100の解釈があるように、
たとえば三島由紀夫の小説を100人が朗読すれば、100の個性が出現します。

陽水が三島の小説から歌詞を採り曲を付けて歌ったら面白いかもしれませんね(笑)。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

同感です。
おっしゃるように三島の言葉から陽水が曲を付けたら良いものができるように思います。
何て素敵な試みでしょう。

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