ジュリーニ指揮バイエルン放送響のシューベルト「ザ・グレイト」(1993録音)を聴いて思ふ

季節は巡る。
命も往っては還る。世界の無常を知りながら人間はいつも目先に齷齪するもの。
フランツ・シューベルトの人生はとても短かった。けれど、残された作品は、夥しい数に上り、しかもどれもが深遠で、すべてが濃密な内容を持ち、代用の利かない一級品であることが何より素敵。
彼の人生は決して順風満帆なものではなかった。
おそらく、とても寂しいものだったのだと思う。作品がそのことを物語る。
作曲家の死後、ロベルト・シューマンによって発見さえ、フェリックス・メンデルスゾーンによって初演された交響曲ハ長調は、いかにも喜びに満ちているようで、実に寂寥感溢れるもの。ここには命の儚さと、それでも長寿を願う執拗な希望が錯綜する。
カルロ・マリア・ジュリーニの演奏には明らかにそういうものが投影される。

ジュリーニが亡くなって早くも12年が経過した。残念ながら僕は、この指揮者の実演を知らない。

1990年代に収録されたシューベルトの交響曲第9番「グレイト」は、どこか緊張感に欠け、少なくとも音盤においては聴くことをつい途中で止めてしまうことがこれまで多かったのだけれど、今はその鷹揚さが、逆に命の有限と、刹那の重要さを象徴しているように感じられ、とても面白く聴ける。
なるほど、僕の独断と偏見、ジュリーニは、わかる人にはわかる、ある意味ムラのある指揮者だったのだと思う。

・シューベルト:交響曲第9番ハ長調D944「ザ・グレイト」
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮バイエルン放送交響楽団(1993Live)

第3楽章スケルツォが、ことのほか素敵。
優雅な踊りが、聴く者を夢見心地にし、トリオの息の長い美しい旋律が生きることの楽しさを僕たちに知らせてくれる。

一言でいうと、僕は、自分がこの世で最も不幸で最もみじめな人間だ、と感じているのだ。健康がもう二度と回復しそうもないし、そのことに絶望するあまり、ものごとを良くしようとするかわりに、ますます悪く悪くしていく人間のことを考えてみてくれ。いわば、最も輝かしい希望が無に帰してしまい、愛と友情の幸福が、せいぜい苦痛のタネにしかならず、(せめて心を鼓舞する)美に対する感動すら消え去ろうとしている人間のことを。君に聞きたい。それはみじめで不幸な人間だと思わないかね?
~1824年3月31日付、レオポルト・クーペルウィザー宛シューベルトの手紙(實吉晴夫訳)

何て厭世的な言葉だろう・・・。
しかし、たぶん、これはゲームだ。終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの生き生きとした官能を聴けば、そのことは自ずとわかる。
第1楽章序奏アンダンテは朗々とした響き、そして、主部アレグロ・マ・ノン・トロッポは見事に楽天的。

 

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2 COMMENTS

雅之

バーンスタインのシベリウスにしたってそうですが(他にもいろいろありますが)、過去にこちらのブログ内で複数回話題になった音盤について再度コメントすることは困難です。何をコメントしたか正確に覚えていませんので重複したことを書きたくないし、いちいち調べるのも面倒です。

なので、今回は近頃気になっていることを。

アナログ時代の録音で、メジャーレーベルでさえ、経年劣化で使用できないマスターテープが増えてきているのではないかと危惧しています。たとえば、60年代の独グラモフォン録音で、カラヤン&ベルリンPOの名演として名高いシベリウスは、2000年前後にリマスターされて以来同じリマスターで再発売し続け、一度も再リマスターされたりSACD化されていないですよね。SACD化されれば絶対に需要はあったはずなので、「ああ、もうマスターテープが劣化してリマスター効果が見込めないんだな」と諦めています。そういう気になる録音が、メジャーレーベルでは数多くあります。特に独グラモフォンが、デッカ、フィリップス、ECMなどとともにユニバーサル ミュージック グループ内に統一されてからは、マスターテープの適切な管理がちゃんとなされているかとても心配です。紛失の危険さえあるのではないでしょうか。これは、ワーナー・ミュージック・グループに売却されたEMIの録音とて同様です。

そして、ジュリーニ&バイエルンRSOのシューベルトもそうですが、80年代から90年代のデジタル録音は、今でもU規格カセットテープ

https://ja.wikipedia.org/wiki/U%E8%A6%8F%E6%A0%BC#PCM.E9.9F.B3.E5.A3.B0.E8.A8.98.E9.8C.B2.E7.94.A8.E9.80.94

でマスター保存されているものが多いのではないでしょうか? だとすると、早晩これも経年劣化して使い物にならなくなるはずです。CD-Rなどの新しい媒体に移していたってその過程で音質劣化しますし、それだって経年劣化します。 

民間企業とは、どこも所詮短期的な利益しか考えない組織です。オーディオメーカーが淘汰された現在、こういうことを真剣に憂慮してくれる民間人が、世界的に考えても果たしてどれだけいるのでしょう。(岡本様を含め)ほぼ皆無に近いのではないでしょうか?

※参考 Wikipedia「A LONG VACATION」の頁より

1989年に初の『公式』リマスター盤が発売されたが、大滝によれば「まだ世間的にはリマスタリングなんて言葉も無かったころですが、実は我々にしてみればこの時点で4回目のマスタリングだったんです。で、この時はアナログ・マスターからPCM-1630のU-Maticに落としました。その際、“アナログ・マスターが危険な状態にある”という話を聞かされたんです。1980年から83年までの3Mのテープは全体的に不具合があるという通達が来たのですよ。磁性体がボロボロ落ちて音が出なくなると。普通アナログは経年変化で最後はダメになるのだけど、この時期のテープはそれより早くダメになるという。それで『もう1回、何とかお願い!』ってU-Maticに入れたのがアナログを回した最後でした」という。

https://ja.wikipedia.org/wiki/A_LONG_VACATION#CD:35DH-1.2C_Master_Sound_DM

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岡本 浩和

>雅之様

こんばんは。

>こういうことを真剣に憂慮してくれる民間人が、世界的に考えても果たしてどれだけいるのでしょう。(岡本様を含め)ほぼ皆無に近いのではないでしょうか?

お恥ずかしながらご指摘の通りで、音源の経年劣化問題については本当に無頓着で、
いつの頃か雅之さんにコメントをいただき、そういう話題を振っていただいたときにようやくほんの少し考え始めたくらいでしたので、返す言葉が見つかりません。
確かに音楽を愛する者なら、やっぱりこの問題は真剣に考えなくちゃならないですよね。
とはいえ、何をどうすれば一個人に助力できるのか・・・。うーむ・・・。
またいずれお会いしたときにでも議論させていただきたいところです。

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