クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィルのブルックナー第8交響曲にあらためて思ふ

bruckner_8_knappertsbusch_munchenこの交響曲は巨人の創造物です。精神的な広がりと畏怖と偉大さとにおいて巨匠のほかのすべての交響曲を凌いでいます。救いがたい不吉なうわさが、しかも専門家の側から出されていたのですが、この成功はほとんど前代未聞のものとなりました。これは闇に対する光の完全な勝利です。各楽章が終るたびに、途方もない勢いで熱狂の嵐が生じました。要するに、これは、ローマの皇帝でさえこれ以上美しいものは望み得ないほどの勝利であったのです。
1892年12月23日付、フーゴー・ヴォルフのエーミール・カウフマン宛手紙
根岸一美著「作曲家◎人と作品シリーズ ブルックナー」P148

専門家筋においても概ね批判的だった作品に対して、さすがにヴォルフは時代の先を読む。

有機体としての音の連なりを、ほとんど奇蹟にも近い形で創り上げるところに作曲家の天才がある。アントン・ブルックナーは、日常生活においては奇人変人として扱われる節があったように見えるが、彼の内側で起こった宇宙的規模の創造行為は僕たち凡人の及びもつかないものだ。モーツァルト同様、ワーグナー同様、どうしてそういう組み合わせが思い浮かぶのか不思議でならない。

ひとつの感動的シーン。交響曲第8番第4楽章における、コーダ直前の第3主題のフーガ的展開から第1楽章第1主題の回想によるクライマックスを喚起し、その後ティンパニの軽い一撃の下コーダに突入、ここでそれまでの様々な主題が組み合わされ音の大伽藍を築くその時のカタルシス。これはもはや人間業とは思えない瞬間。

初めてクナッパーツブッシュのミュンヘン・フィルとの晩年の録音を聴いたとき卒倒した。あのスローテンポの、重い足取りながら呼吸の深い演奏は、30余年を経た今聴いても新鮮だ。(とはいえ、今やもう聴く機会は滅多にない)

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(原典版)
ワーグナー:
・ジークフリート牧歌
・歌劇「ローエングリン」第1幕前奏曲
・舞台神聖祝典劇「パルジファル」第1幕前奏曲
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1963.1&1962.11録音)

その後、様々な指揮者の実演を聴いた。いつ聴いても最後の場面は感動的だが、それでもクナッパーツブッシュの終楽章だけは僕にとってある意味「別格」だ。

 

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