ジュリーニ指揮バイエルン放送響のシューベルト「未完成」交響曲(1995.4録音)ほかを聴いて思ふ

人間というのはどこまでも完璧でないから美しいのだと思った。
いつどんな時も失敗の反省があり、一方で、成功の愉悦がある。
不完全、未完成であるがゆえの喜び。

「なにがしあはせかわからないです。ほんたうにどんなつらいことでもそれがたゞしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつですから。」
燈台守がなぐさめてゐました。
「あゝさうです。たゞいちばんのさいはひに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
青年が祈るやうにさう答へました。
「銀河鉄道の夜」
宮沢賢治全集7(ちくま文庫)P274

賢治の根底にあるのは間違いなく信仰だけれど、仮に信仰というものを横に置くとしてもそれまでの人生のすべてに本来は否定するものがないということは確かだと僕は思う。月並みな言い方だけれど、すべては必然なんだと。

あゝ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない。そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもたうとうこんなになってしまった。あゝなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったらう。そしたらいたちも一日生きのびたらうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかひ下さい。って(蝎が)云ったといふの。
「銀河鉄道の夜」
~同上書P287

人間に限らず、生きとし生けるものの魂は実に尊い。
いかに無私で捧げられるかは人が生きる上でとても大切な主題であると思うが、誰しも我を取り除くことができぬもの。僕たちは煩悩と闘いながら、自分自身と闘いながら世の中を渡らねばならない。生きるために殺生もあるのだ。

おそらくフランツ・シューベルトはとても自我の強い、相当に頑なな人間だったのだろう。しかし、そういう彼がインスピレーションにまかせてペンを走らせたときの気ままな作品群はいずれもが実に神々しい。相当な量の作品が途中で投げ出されたらしいけれど。

シューベルト:
・交響曲第8番変ロ短調D759「未完成」(1995.4.24-28録音)
・交響曲第4番ハ短調D417「悲劇的」(1993.2.27&28録音)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮バイエルン放送交響楽団

人工に膾炙したこの懐かしい音楽が不思議に新鮮に響く。
晩年の、どちらかというと無機的な(?)表現の多い印象のジュリーニの、老練ゆえの言葉に表し難い確信。なるほど、ひらめきは少ないけれど、音楽は重厚で粘る。そして、ひとつひとつの音が僕たちの心に何より訴えかける。

また、間違いなくベートーヴェンを意識したハ短調交響曲は、序奏付きの第1楽章からして堂々とした風貌で、晩年の透明感には及ばないものの、いまだ19歳の若書きとは思えぬ代物。ジュリーニの棒が清らかな閃光を放つ。特に、美しいのは第2楽章アンダンテ。

みんなもじっと河を見てゐました。誰も一言も物を云うふ人もありませんでした。ジョバンニはわくわくわくわく足がふるへました。魚をとるときのアセチレンランプがたくさんせはしく行ったり来たりして黒い川の水はちらちら小さな波をたてて流れてゐるのが見えるのでした。
下流の方は川はゞ一ぱい銀河が巨きく写ってまるで水のないそのまゝのそらのやうに見えました。
ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはづれにしかゐないといふやうな気がしてしかたなかったのです。
~同上書P297

今夜の月は煌めく美しさ。

 

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3 COMMENTS

雅之

第1次稿

・・・・・・そしてジョバンニが窓の外を見ましたら向ふの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだやうに赤い腕木をつらねて立ってゐました。「カムパネルラ、僕たち一諸に行かうねえ。」ジョバンニが何とも云へずさびしい気がしてふりかへって見ましたらそのいままでカムパネルラの座ってゐた席にもうカムパネルラの形は見えずたゞ黒いびらうどばかりひかってゐました。ジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そしてはげしく胸をうって叫びました。「さあ、やっぱり僕はたったひとりだ。きっともう行くぞ。ほんたうの幸福が何だかきっとさがしあてるぞ。」

そのときまっくらな地平線の向ふから青じろいのろしがまるでひるまのやうにうちあげられ汽車の中はすっかり明るくなりました。そしてのろしは高くそらにかゝって光りつゞけました。「あゝ マジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほうたうのほんたうの幸福をさがすぞ。」ジョバンニは唇を噛んでそのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。天の川を数知れない氷がうつくしい燐光をはなちながらお互ぶっつかり合ってまるで花火のやうにパチパチ云ひながら流れて来向ふには大犬座のまばゆい三角標がかゞやきました。

「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしに本統の世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のな[か]でたった一つのほんたうのその切符を決しておまへはなくしてはいけない。」あのセロのやうな声がしたと思ふとジョバンニはあの天の川がもうまるで遠く遠くなって風が吹き自分はまっすぐに草の丘に立ってゐるのを見また遠くからあのブルカニロ博士の足[お]との近づいて来るのをききました。

「ありがたう。私は大へんいゝ実験をした。私はこんなしづかな場所で遠くから私の考を伝へる実験をしたいとさっき考へてゐた。お前の云った語はみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。お前は夢の中で決心したとほりまっすぐに進んで行くがいゝ。そしてこれから何でもいつでも私のとこへ相談においでなさい。」

「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんたうの幸福を求めます。」「あゝではさよなら。」博士はちょっとジョバンニの胸のあたりにさわったと思ふともうそのかたちは天気輪の柱の向ふに見えなくなってゐました。ジョバンニはまっすぐに走って丘をおりました。そしてポケットが大へん重くカチカチ鳴るのに気がつきました。林の中でとまってそれをしらべて見ましたらそれは大きな二枚の金貨でした。
「博士ありがたう、おっかさん。すぐ乳をもって行きますよ。」ジョバンニは叫んでまた走りはじめました。何かいろいろのものが一ぺんにジョバンニの胸に集って何とも云えずかなしいやうな新しいやうな気がするのでした。

琴の星がずっと西の方へ移ってそしてまた蕈のやうに足をのばしてゐました。

第3次稿

・・・・・・ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむってゐるばかりどうしてもカムパネルラが云ったやうに思はれませんでした。何とも云へずさびしい気がしてぼんやりそっちを見てゐましたら向ふの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだやうに赤い腕木をつらねて立ってゐました。「カムパネルラ、僕たち一諸に行かうねえ。」ジョバンニが斯う云ひながらふりかへって見ましたらそのいままでカムパネルラの座ってゐた席にもうカムパネルラの形は見えずジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そして誰にも聞えないやうに窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったやうに思ひました。

「おまへはいったい何を泣いてゐるの。ちょっとこっちをごらん。」いままでたびたび聞こえたあのやさしいセロのやうな声がジョバンニのうしろから聞こえました。
 ジョバンニははっと思って涙をはらってそっちをふり向きました。さっきまでカムパネルラの座ってゐた席に黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人がやさしくわらって大きな一冊の本を持ってゐました。
「おまへのともだちがどこかへ行ったのだらう。あのひとはね、ほんたうにこんや遠くへ行ったのだ。おまへはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」
「ああ、どうしてさうなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐに行かうと云ったんです。」
「あゝ、さうだ。みんながさう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまへがあふどんなひとでもみんな何べんもおまへといっしょに苹果をたべたり汽車に乗ったりしたのだ。だからやっぱりおまへはさっき考へたやうにあらゆるひとのいちばんの幸福をさがしみんなと一しょに早くそこへ行くがいゝ。そこでばかりおまへはほんたうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ。」「あゝ、ぼくはきっとさうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいゝでせう。」「あゝわたくしもそれをもとめてゐる。おまへはおまへの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまへは化学をならった[ら]う。水は酸素と水素からできてゐるといふことを知ってゐる。いまはだれだってそれを疑やしない。実験して見るとほんたうにさうなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできてゐると云ったり、水銀と硫黄でできてゐると云ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学と同じやうになる。けれども、ね、ちょっとこの本をごらん、いゝかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある。だからこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いゝかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本統だ。さがすと証拠もぞくぞく出てゐる。けれどもそれが少しどうかなと斯う考へだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。紀元前一千年 だいぶ、地理も歴史も変ってるだらう。このときは斯うなのだ。変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考だって天の川だって汽車だってたゞさう感じてゐるのなんだから、そらごらん、ぼくといっしょにすこしこゝろもちをしづかにしてごらん。いゝか。」

そのひとは指を一本あげてしづかにそれをおろしました。するとジョバンニは自分といふものがじぶんの考といふものが、汽車やその学者や天の川やみんないっしょにぽかっと光ってしぃんとなくなってぽかっとと[も]ってまたなくなってそしてその一つがぽかっとともるとあらゆる広い世界ががらんとひらけあらゆる歴史がそなはりすっと消えるともうがらんとしたたゞもうそれっきりになってしまふのを見ました。だんだんそれが早くなってまもなくすっかりもとのとほりになりました。

「さあいゝか。だからおまへの実験はこのきれぎれの考のはじめから終りすべてにわたるやうでなければいけない。それがむづかしいことなのだ。けれどももちろんそのときだけのものでもいゝのだ。あゝごらん、あすこにプレシオスが見える。おまへはあのプレシオスの鎖を解かなければならない。[ 」]

そのときまっくらな地平線の向ふから青じろいのろしがまるでひるまのやうにうちあげられ汽車の中はすっかり明るくなりました。そしてのろしは高くそらにかゝって光りつゞけました。「あゝ マジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほうたうのほんたうの幸福をさがすぞ。」ジョバンニは唇を噛んでそのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。そのいちばん幸福なそのひとのために!

「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしに本統の世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のな[か]でたった一つのほんたうのその切符を決しておまへはなくしてはいけない。」あのセロのやうな声がしたと思ふとジョバンニはあの天の川がもうまるで遠く遠くなって風が吹き自分はまっすぐに草の丘に立ってゐるのを見また遠くからあのブルカニロ博士の足[お]とのしづかに近づいて来るのをききました。

「ありがたう。私は大へんいゝ実験をした。私はこんなしづかな場所で遠くから私の考を人に伝へる実験をしたいとさっき考へてゐた。お前の云った語はみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。お前は夢の中で決心したとほりまっすぐに進んで行くがいゝ。そしてこれから何でもいつでも私のとこへ相談においでなさい。」

「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんたうの幸福を求めます。」ジョバンニは力強く云ひました。「あゝではさよなら。これはさっきの切符です。」博士は小さく折った緑いろの紙をジョバンニのポケットに入れました。そしてもうそのかたちは天気輪の柱の向ふに見えなくなってゐました。ジョバンニはまっすぐに走って丘をおりました。そしてポケットが大へん重くカチカチ鳴るのに気がつきました。林の中でとまってそれをしらべて見ましたらあの緑いろのさっき夢の中で見たあやしい天の切符の中に大きな二枚の金貨が包んでありました。

「博士ありがたう、おっかさん。すぐ乳をもって行きますよ。」
ジョバンニは叫んでまた走りはじめました。何かいろいろのものが一ぺんにジョバンニの胸に集って何とも云えずかなしいやうな新しいやうな気がするのでした。

琴の星がずっと西の方へ移ってそしてまた蕈のやうに足をのばしてゐました。

第4次稿

・・・・・・ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむってゐるばかりどうしてもカムパネルラが云ったやうに思はれませんでした。何とも云へずさびしい気がしてぼんやりそっちを見てゐましたら向ふの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだやうに赤い腕木をつらねて立ってゐました。「カムパネルラ、僕たち一諸に行かうねえ。」ジョバンニが斯う云ひながらふりかへって見ましたらそのいままでカムパネルラの座ってゐた席にもうカムパネルラの形は見えずジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そして誰にも聞えないやうに窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったやうに思ひました。

ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむってゐたのでした。胸は何だかおかしく熱り頬にはつめたい涙がながれてゐました。

 ジョバンニはばねのやうにはね起きました。町はすっかりさっきの[通]りに下でたくさんの灯を綴ってはゐましたがその光はなんだかさっきよりは熟したといふ風でした。そしてたったいま夢であるいた天の川もやっぱりさっきの通りに白くぼんやりかゝりまっ黒な南の地平線の上では殊にけむったやうになってその右には蠍座の赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんたいの位置はそんなに変ってもゐないやうでした。
ジョバンニは一さんに丘を走って下りました。まだ夕ごはんをたべないで待ってゐるお母さんのことが胸いっぱいに思ひだされたのです。どんどん黒い松の林の中を通ってそれからほの白い牧場の[柵]をまはってさっきの入口から暗い牛舎の前へまた来ました。そこには誰かゞいま帰ったらしくさっきなかった一つの車が何かの樽を二つ乗っけて置いてありました。

「今晩は、」ジョバンニは叫びました。
「はい。」白い太いずぼんをはいた人がすぐ出て来て立ちました。
「何のご用ですか。」
「今日牛乳がぼくのところへ来なかったのですが」
「あ済みませんでした。」その人はすぐ奥へ行って一本の牛乳瓶をもって来てジョバンニに渡しながらまた云ひました。

「ほんたうに、済みませんでした。今日は[ひ]るすぎうっかりしてこうしの柵をあけて置いたもんですから大将早速親牛のところへ行って半分ばかり呑んでしまひましてね……」その人はわらひました。
「さうですか。ではいただいて行きます。」「えゝ、どうも済みませんでした。」「いゝえ。」ジョバンニはまだ熱い乳の瓶を両方のてのひらで包むやうにもって牧場の柵を出ました。

そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出てまたしばらく行きますとみちは十文字になってその右手の方通りのはづれにさっきカムパネルラたちのあかりを流しに行った川へかゝった大きな橋のやぐらが夜のそらにぼんやり立ってゐました。

ところがその十字になった町かどや店の前に女たちが七八人ぐらゐづつ集って橋の方を見ながら何かひそひそ談してゐるのです。それから橋の上にもいろいろなあかりがいっぱいなのでした。
ジョバンニはなぜかさあっと胸が冷たくなったやうに思ひました。そしていきなり近くの人たちへ
「何かあったんですか。」と叫ぶやうにきゝました。

「こどもが水へ落ちたんですよ。」一人が云ひますとその人たちは一斉にジョバンニの方を見ました。ジョバンニはまるで夢中で橋の方へ走りました。橋の上は人でいっぱいで河が見えませんでした。白い服を着た巡査も出てゐました。

ジョバンニは橋の袂から飛ぶやうに下の広い河原へおりました。
その河原の水際に沿ってたくさんのあかりがせわしくのぼったり下ったりしてゐました。向ふ岸の暗いどてにも火が七つ八つうごいてゐました。そのまん中をもう烏瓜のあかりもない川が、わづかに音をたてゝ灰いろにしづかに流れてゐたのでした。

河原のいちばん下流の方へ洲のやうになって出たところに人の集りがくっきりまっ黒に立ってゐました。ジョバンニはどんどんそっちへ走りました。するとジョバンニはいきなりさっきカムパネルラといっしょだったマルソ[に]会ひました。マルソがジョバンニに走り寄ってきました。「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ。」「どうして、いつ。」「ザネリがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやらうとしたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったらう。すると[カムパネルラ]がすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラが見えないんだ。」「みんな探してるんだらう。」「あゝすぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来た。けれども見附からないんだ。ザネリはうちへ連れられてった。」ジョバンニはみんなの居るそっちの方へ行きました。そこに学生たち町の人たちに囲まれて青じろい尖ったあごをしたカムパネルラのお父さんが黒い服を着てまっすぐに立って右手に持った時計をじっと見[つ]めてゐたのです。
みんなもじっと河を見てゐました。誰も一言も物を云ふ人もありませんでした。ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。魚[を]とるときのアセチレンランプがたくさんせはしく行ったり来たりして黒い川の水はちらちら小さな波をたてゝ流れてゐるのが見えるのでした。下流の方の川はゞ一ぱい銀河が巨きく写ってまるで水のないそのまゝのそらのやうに見えました。
ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはづれにしかゐないといふやうな気がしてしかたなかったのです。

けれどもみんなはまだ、どこかの波の間から、
「ぼくずゐぶん泳いだぞ。」と云ひながらカムパネルラが出て来るか或ひはカムパネルラがどこかの人の知らない洲にでも着いて立ってゐて誰かの来るのを待ってゐるかといふやうな気がして仕方ないらしいのでした。けれども俄かにカムパネルラのお父さんがきっぱり云ひました。
「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」
ジョバンニは思はずか[け]よって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方を知ってゐますぼくはカムパネルラといっしょに歩いてゐたのですと云はうとしましたがもうのどがつまって何とも云へませんでした。すると博士はジョバンニが挨拶に来たとでも思ったものですか しばらくしげしげジョバンニを見てゐましたが
「あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがたう。」と叮ねいに云ひました。
 ジョバンニは何も云へずにたゞおじぎをしました。
「あなたのお父さんはもう帰ってゐますか。」博士は堅く時計を握ったまゝまたきゝました。
「いゝえ。」ジョバンニはかすかに頭をふりました。
「どうしたのかなあ。ぼくには一昨日大へん元気な便りがあったんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。ジョバンニさん。あした放課后みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」

さう云ひながら博士はまた川下の銀河のいっぱいにうつった方へじっと眼を送りました。ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云へずに博士の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせやうと思ふともう一目散に河原を街の方へ走りました。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この改訂の流れ、特に第4次稿でブルカニロ博士他がバッサリ断捨離されたことについては、私の現在の実人生でも教えられるところが多いです。しかし、改めて読んでみて、各稿とも、捨てがたい魅力があります。

※ 初期形の魅力が、とてもよく伝わってきた本。

銀河鉄道の夜―最終形・初期形〈ブルカニロ博士篇〉 (ますむら版宮沢賢治童話集)  ますむら ひろし (著, イラスト), 宮沢 賢治 (原著)  偕成社

https://www.amazon.co.jp/%E9%8A%80%E6%B2%B3%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E5%A4%9C_%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%BD%A2%E3%83%BB%E5%88%9D%E6%9C%9F%E5%BD%A2%E3%80%88%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%83%AD%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E7%AF%87%E3%80%89-%E3%81%BE%E3%81%99%E3%82%80%E3%82%89%E7%89%88%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB%E7%AB%A5%E8%A9%B1%E9%9B%86-%E3%81%BE%E3%81%99%E3%82%80%E3%82%89-%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%97/dp/4030148301/ref=sr_1_13?s=books&ie=UTF8&qid=1499558100&sr=1-13&keywords=%E9%8A%80%E6%B2%B3%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E5%A4%9C

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岡本 浩和

>雅之様

「銀河鉄道の夜」に複数の稿があるのは当然知っておりましたが、細かく読んで分析していないので、残念ながらいますぐにこちらのコメントに適正な回答をすることが僕には不可能です。実に残念です。
ということで、折を見て勉強させていただき、また別の機会にでも何らかの形で言及させていただくようにいたします。

それでも宮沢賢治のブルックナー並みの(?)改訂というか推敲の厳しさに唖然といたします。
ありがとうございます。

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