ケンプのベートーヴェン「ワルトシュタイン・ソナタ」ほか(1964録音)を聴いて思ふ

小さく愛らしいト長調のソナタ。第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポは、主題の可憐さといい、短い展開部、そうして律儀な再現部と、何だかモーツァルトを聴くような喜びに満ちる。ケンプの軽やかな指使いは、一層その調子を助長する。また、第2楽章テンポ・ディ・メヌエットの無邪気な楽しさ。青年ベートーヴェンに宿る無垢な心が見事に音化されるのである。
続く「ワルトシュタイン」ソナタハ長調。主題が右手と左手に交互に現れる終楽章ロンド、アレグレット・モデラートの構築美こそベートーヴェンの本懐。また、終盤プレスティッシモの、音の塊が激しくせめぎ合う様に怒れる作曲家の心情の投影を思う。

音楽は人々の精神から炎を打ち出さなければならない。
「ベートーヴェンの思想断片」
ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)P135

常に進化、深化していったのがルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンその人。
彼は言う。

Il n’y a pas de règle qu’on ne peut blesser àcause de Schöner.
「さらに美しい」ためならば、破り得ぬ(芸術的)規則は一つもない。
「ベートーヴェンの思想断片」
~同上書P135

ベートーヴェンにあったのは常に「美」の追求ということ。
ヴィルヘルム・ケンプは語る。

何故ならベートーヴェンは「体験」されねばならぬからです。彼をあなたが体験することができたなら、あなたの聴衆も彼を体験することができましょう。ベートーヴェンはピアニストの指の力に莫大なる要求を課しています。長年の努力によってのみ獲得できるようなことがらを、ベートーヴェンは人の手に要求します。そして奇妙なことには、彼のソナタのいずれもが、それ以前獲得した技術では解決できない、新しい技術的問題を提供することです。
ヴィルヘルム・ケンプ「ベートーヴェンのピアノ・ソナタについて」
PROC-1731/8ライナーノーツ

「体験」されねばならぬ、という言葉に膝を打つ。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第20番ト長調作品49-2(1964.11.9録音)
・ピアノ・ソナタ第21番ハ長調作品53「ワルトシュタイン」(1964.9.15-18録音)
・ピアノ・ソナタ第22番ヘ長調作品54(1964.9.15-18録音)
・ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」(1964.9.15-18録音)
・ピアノ・ソナタ第24番嬰ヘ長調作品78(1965.1.11&12録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)

ヘ長調ソナタ第2楽章アレグレットの、無窮動の如くの激しい動きに心動く。ケンプの丁寧な指運びの妙。
そして、「熱情」ソナタ第1楽章アレグロ・アッサイの堂々たる旋律にあらためて感動(「運命」動機の誇らしさ!)。第2楽章アンダンテ・コン・モートの虚ろな静けさから終楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポの動的な解放に至る音楽は「傑作の森」期ベートーヴェンの真髄。ケンプのピアノは極めてオーソドックスに音の連なりを表現し、華麗に歌う。堰を切ったかのような怒涛のコーダ、プレストがまた素晴らしい。

神性へ近づいて、その輝きを人類の上に拡げる仕事以上に美しいことは何もない。
~同上書P136

その後の、嬰ヘ長調ソナタ。後期様式の入口に立つベートーヴェンは、不要なものを捨て、極めて簡潔な書法ですべてを表現しようとする。4小節の第1楽章序奏アンダンテ・カンタービレから主部アレグロ・マ・ノン・トロッポにつながる転生の美しさ。たった2つの楽章で表現しようとした陰陽包括の儀。第2楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの生きる希望に拍手喝采。ケンプのピアノがうねる。

ぶよが刺した位では疾駆している馬を停められはしない、というヴォルテールの感想に私はまったく同感である。(1826年)
~同上書P142

晩年までベートーヴェンの創作欲は衰えを見せなかったようだ。
57歳での死は早過ぎたのだと思う。

 

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