ウェルナー・ヒンク&佐々木秋子デュオ・リサイタル

hink_sasaki_091202_asahi_hall.jpg近藤恵三子画伯から嬉しいメールをもらった。
彼女と出逢ったのは1年ちょっと前。当時既に日本画家としてアトリエを構え、日々制作に励んでいたものの、まだまだ一本立ちする自信もなく、どこか燻ったような状態のようだったか。ともかく僕にはそう見えた。
でも、彼女の立派なところは、アドバイスをすると直感的に、かつ即行動するところ。ともかく自身を開放し、自分軸を定めるためにセミナーを薦めた。そして、彼女にとって2009年は「ワークショップZERO」に参加することからスタートした。

1年ほど前、初めてお会いしてから私の人生はぐ~っと充実したものに変化し、東京での活動の基盤まで出来つつあります。これは岡本夫妻に出会っていたからこその今の私です。・・・感謝の気持ちでいっぱいです。・・・セミナーに始まり、コラボコンサート、・・・他にも色々ありますが。たくさんの出会いや、私自身の意識の変化は・・・・自分でもビックリするほど。出会えたタイミングもばっちりだったのですね。

チャンスは誰の前にも転がっている。でも、そのチャンスをモノにできる人と見逃す人がいる。行動力って大事だ。僕の方こそ「ありがとう」とお礼を言いたい。

本日、浜離宮朝日ホールに出掛ける。久しぶりのヴァイオリン・リサイタル。
「ウェルナー・ヒンク&佐々木秋子デュオ・リサイタル」
プログラムは、シューベルト、モーツァルト、そしてベートーヴェンというウィーン人らしい格好の選曲。さすがに元ウィーン・フィルのコンマスだけあり、ヒンクのヴァイオリンは本当に洒落ていて、心が洗われるような瑞々しさ。よかった。

・シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第1番ニ長調D.384、Op.137-1
シューベルト19歳の時の美しい「小さなソナタ」。1曲目からヒンクの愛らしいヴァイオリンの音色に引き込まれる。佐々木秋子との掛け合いも見事。

・モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第34番変ロ長調K.378
飛び切りの名演奏。モーツァルトのザルツブルク時代の作品の中でも後半のもので、青年アマデウスの「意気込み」が手に取るようにわかる。マンハイム、パリ旅行から戻った直後の作曲らしく、パリのサロンを思わせる流麗で躍動的な音楽。

休憩を挟んで、
・モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第28番ホ短調K.304
同じくザルツブルク時代の「悲しみ」のソナタ。パリで母親を亡くし、ミュンヘンでアロイジア・ウェーバーとの恋に破れ、絶望のどん底にいたこの天才がその悲しみの全てを吐露するかのごとくの暗い感傷が第1楽章を支配する。そして、魂を慰める安寧のメヌエット楽章。ウェルナー・ヒンクのヴァイオリンが時に激しく慟哭し、時に静かに囁きかける。ヒンクの奏でるモーツァルトは本当に素晴らしい。

・ベートーヴェン:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第4番イ短調作品23
ハイドンやモーツァルトの影響から脱皮し、ようやくベートーヴェンらしさを発揮し始めた1800年に創られた初期の傑作ヴァイオリン・ソナタ。この曲を実演では初めて聴いたが、これほど確たる自信を漲らせた演奏はなかなか見当たらないのではないか。とにかくヒンクと佐々木の呼吸、間合い、すべてが絶妙なのである。素敵である。

そして、アンコール。
・ベートーヴェン:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第1番ニ長調作品12-1~第3楽章
・ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタから(不明)
アンコールは2曲あった。おそらく観客の反応をみて、1曲追加したのだろうが、残念ながらベートーヴェンのソナタの中の1曲だということはわかるのだが、どの曲のどの楽章かがわからない。いずれにせよ、とても温かで心休まるコンサートだった。感謝。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
今朝は本文の羨ましい御体験に付け加えるコメントは何もありません(笑)。
こんな日は、年末でもありますし、今年を振り返り過去のお詫び・反省を・・・。前から気になっておりましたので・・・。
2月4日付ブログ本文に対し、私は、丸山眞男・中野雄両氏もシューマンを理解していないなどと、こんなコメントをいたしました。
http://classic.opus-3.net/blog/cat29/post-50/#comments
岡本さんが別な日に紹介されていた「丸山真男 音楽の対話」中野雄 著 (文春新書)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4166600249?ie=UTF8&tag=opus3net-22&linkCode=xm2&camp=247&creativeASIN=4166600249
その後、私も読みました。
えーっ!!!そんな馬鹿な!! 丸山先生、シューマンのこと無茶苦茶理解してるし、心から愛してたじゃん!!!!!!いや、お恥ずかしい限り(汗)。
氏の遺稿『自己内対話』には、「私が好きな曲(どんな気分のときにでも、ききたい曲」で選ばれた何曲かの中に、私が愛して止まない「交響的練習曲」や「ピアノ四重奏曲」変ホ長調がちゃんと入っているし!!
m(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)m 本当にすみませんでした!(涙及び懺悔)m(__)m
あと、この本を先日改めて読み返して、下の部分が「同好の士」の大先輩のエピソードとして、とても身につまされるけど微笑ましく、印象に残りました。よく御存じの本からで恐縮ですが、引用します。
・・・・・・「偲ぶ会」の数日前、ゆか里夫人の希望が伝えられた。
「丸山は音楽が好きでした。できることなら奏楽を背景に魂を天に送ってあげたい」
仲の良いご夫婦であり、二人ともクラシック音楽が大好きであったが、ただ一点、両者の相容れない嗜好があった。「マニア」呼ばわりされるほどレコード集めが好きだった丸山とは対照的に、夫人はステレオから流れ出る「電気の音」を嫌った。
「合唱のサークルなんかに入っているし、オペラやコンサートには喜々として出かけるんだけど、『スピーカーから大きな音がすると頭が痛くなる』なんて言うんだな」
お茶やお菓子、季節の果物などでわれわれをもてなして下さる夫人が応接間から去ると、丸山は待ってましたとばかりにステレオのコントロール・アンプに手を触れてヴォリュームを上げる。口ではブツブツ言いながら、眼は笑っている。夫人の留守を狙うかのように同好の士を集め、大音量でレコード・コンサートを催したという噂を耳にしたこともある。私はオーディオを生業(なりわい)としたこともある身だから、
「奥様は電気的な歪みに対して、非常に敏感なんだと思います。ずいぶん技術革新はありましたが、とても生(なま)の音には敵(かな)いません。奥様のような方の耳をクリアーするオーディオ機器は、二十一世紀になっても開発されないでしょう」
などと、専門家ぶった解説をして夫人を庇(かば)ったこともあるが、丸山は憮然として何も答えなかった。とにかく、入院先の病床にポータブルCDプレーヤーとヘッドフォンを持ち込み、私が新着の《ブラームス交響曲全集》(指揮フルトヴェングラー)をプレゼントしたときなど、ただちにオイレンブルク版の総譜(スコア)を取り寄せたほど音楽に打ち込んでいた丸山である。「電気的歪み」など、物の数ではなかった。・・・・・・(237~238ページより)

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
こうやって縁をいただいて、毎日のようにやりとりをさせていただいていると「気づき」が深まりますね。丸山先生の本については僕もそれほど詳しくないので、「自己内対話」にそういうことが書かれているというのは知りませんでした。読んでみたくなりました。感謝いたします。
まぁ、でも一部の書籍の引用からその人の全てを判断しちゃいけないということですよね。一般的な人間関係でもそうですが、多角的に理解しないと大変な誤解を生むことになります。今日も勉強になりました。ありがとうございます。
それにしてもご紹介の丸山先生のエピソード、人間っぽくって僕も好きです。できることならお会いして、好きなフルトヴェングラーのレコードなどを一緒に聴きながら先生のお話を伺ってみたかったです。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む