小川典子のベートーヴェン/ワーグナー編曲交響曲第9番(1998.5録音)を聴いて思ふ

人は自らの使命を、無意識にどこかのタイミングで悟るものらしい。
リヒャルト・ワーグナーが音楽家を志したのは、ベートーヴェンの交響曲を聴いたことによるのだという。

私の故郷は中部独逸の中位の都市であった。私が何をなすべく定められていたかは今でも全く知らない。ただ一事、ある晩のことベートーベンのシンフォニーの演奏をきき、そのため発熱し病気になり、再び快癒した時には、私は音楽家になっていたと言う事実を覚えている。私が時に応じて他の美しい音楽も知る機会を得たにも拘らず、何よりもベートーベンを愛し、尊敬し、崇拝していたのかはかかる事件があったからであろう。この精霊の深みに全くひたりこむ以上の喜びは私は最早知らなかった。私はとうとうその精霊の一部となってしまうことを想像する様になった。そしてその最も小さな部分として自分自身を尊敬し、より高い概念と観察を獲得することをはじめたのである。
「ベートーベンへの巡禮」
リヒャルトワグナー/蘆谷瑞世訳「ベートーベン―第九交響曲とドイツ音楽の精神」(北宋社)P163

果たしてそのシンフォニーこそ交響曲第9番だったわけだが、当時の人々の多くが受け付けなかったこの誇大妄想的(?)音楽を誰よりも早く認知し、絶賛できたのは、ワーグナー自身こそが誇大妄想癖を持つパラノイアだったからなのかもしれない。

「コジマの日記」には、リヒャルトのベートーヴェンへの賛辞がいくつも残される。

ドイツ人とはこういうものだ。不器用で馬鹿正直。だが、その愚直さは熱く燃え上がり、思想を宿す力を秘めている。ベートーヴェンが出現したのも同じ土壌からだ。ここでは創造精神の量がその質を決定づける。
1871年11月1日水曜日
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記3」(東海大学出版会)P2

常に「新しいもの」を希求した楽聖の音楽は、不器用かつ愚直であったがゆえの産物だということだ。確かに、少年ワーグナーが感激した「第九」も、シンプルでありながらどこかアンバランスな危うさを秘め、それでいて燃えたぎる炎の如くの熱さと愛を秘める。

ドイツ人はさしあたり防御において、すなわち自分が同化できない異国のものを撃退することにおいて偉大であった。トイトブルクの森はローマに対する防御であったし、宗教改革だって一種の防御さ。われらが偉大な文学もまた、フランスの影響に対するひとつの防御なのだ。逆に積極的なものといえば、われわれはこれまで音楽しか持ちあわせなかった。ベートーヴェンだよ。
1872年2月19日月曜日
~同上書P126

ワーグナーが惚れ込んだのは、ベートーヴェンの革新と積極性だ。

・ベートーヴェン/ワーグナー編曲:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」(1831)(世界初録音)
小川典子(ピアノ)
緋田芳江(ソプラノ)
穴澤ゆう子(アルト)
桜田亮(テノール)
浦野智行(バス)
鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン合唱団(1998.5録音)

17歳のワーグナーによるピアノ編曲版は、最初の3つの楽章と終楽章の間にある違和感を一層浮き彫りにする。情熱的輪舞の如くの第2楽章スケルツォ、モルト・ヴィヴァーチェが弾け、夢見る第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレが美しく映える。編曲に関しての賛否は両論あれど(それほど面白いものではないことは確か)、ワーグナーのベートーヴェンへの愛が刷り込まれた逸品が見事な演奏で聴けることに感謝したい。
ちなみに、終楽章での独唱陣の声はいずれも明るく、また少人数のBCJ合唱団の歌は透明感抜群。

小川典子の超人的テクニックによりワーグナーのベートーヴェンが蘇る。
実演で聴いてみたいところだが、たぶん・・・難しいだろう。

 

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