「共感力」という言葉がある。挫折や失敗経験が多ければ多いほど、悲しい体験、苦しい体験が多いほど、その人の「共感力」はアップする。人の気持ちがわかる人間になるには様々な体験をどれだけするか、それしかない。
久しぶりに「パルジファル」を聴こう。全曲は物理的にきついので第1幕のみを。
「パルジファル」の王道といえば、この音盤しかない。滔々と流れる静かなる「音の洪水」。深い深い呼吸。多分この音楽については1度や2度ブログに感想を書いたところで十分でないだろうゆえ、今後もふと思いついたら書くだろう。何だかすべての音楽を飲み込んでしまうんじゃないかと思われるほど巨大で深遠。気が遠くなる。ワーグナー最後の大作は思想的に難解だが、やっぱり最高だと思う。ただただその音の流れに身を委ねること。
成城でのコラボレート・コンサートから早1ヶ月が経過するが、愛知とし子の次なるシリーズが始動する。「ファンタジー・シリーズ」と題し、まずは作家の晴香葉子氏との「ロシア音楽×ロシア文学」というコンセプトのコンサートが来年2月に杉並公会堂小ホールで開催される。
ソワレ:『ロシアン・ファンタジー』
◆2010年2月20日(土)19:00開演
◆プログラム
・グリンカ:ひばり(バラキレフ編)
・プロコフィエフ:バレエ「ロメオとジュリエット」からの10の小品作品75より
・ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」 ほか
なお、同日のマチネは0歳児から入場可のファミリー向けコンサートで、サン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」がメイン・プログラムになる。4月に開催されたTEPCOホールでのコンサートにも増して魅力的な会になること間違いなし。皆様ぜひ足をお運びください。
おはようございます。
「パルジファル」と「ニーベルングの指輪」との音楽の深みの差は、ブルックナーの交響曲第9番と第8番の差に似ていると思います。
岡本さんがクナの決定盤なら、私は究極のあだ花、カラヤン盤をお薦め・・・・、いや、今朝は疲れたので対抗するのはやめましょう(笑)。
私がこの作品の全体像を理解したのは、レヴァイン&メトロポリタン歌劇場(シェンク演出)の映像のLDによってでした(今はDVD)。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1665545
歌手では、ヴァルトラウト・マイアーのクンドリが特に傑出していると思います。
本日のテーマ「失敗は成功のもと」といえば・・・、プロ・ゴルフ界の、モンサルヴァート城で聖杯を守る、誘惑に負けた王、タイガー・ウッズ(アンフォルタス)は、今回の「失敗」で果たして「救済」されるのでしょうか?
http://www.j-cast.com/2009/12/03055401.html
そもそも、いつからトップ・アスリートは、品行方正でなければならなくなったのでしょうか? 企業との多額のスポンサー契約などの諸事情があるし、今は芸術家もスポーツ選手も、一流になるほど窮屈ですね。往年の名指揮者クレンペラーの素行なんか、今だったらどうなるのでしょうね(笑)。若い人の、やたらと「失敗を怖れる癖」って、現代の潔癖を求め過ぎる風潮にも原因があると思います。
私は、彼を裁くマスコミも世間も、罪深いのはタイガー・ウッズと同じだと思います。
救い難いからこそ「救済」が必要なのは、あなたも私も大統領も首相も社長もタイガー・ウッズも、みな同じ(笑)。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」・・・、違うか(爆)、それにしても古い!(爆)(爆)
タイガー・ウッズの今回の一件、岡本さんは、どう思われますか?
>雅之様
おはようございます。
>私は究極のあだ花、カラヤン盤をお薦め・・・・、いや、今朝は疲れたので対抗するのはやめましょう
ぜひ対抗していただきたかった(笑)。カラヤン盤は僕もお薦め盤でして・・・、ブログを始めた第3日目に採り上げました。
いいですねぇ、これは。
http://opus-3.net/blog/archives/2007/05/post-1/
レヴァインのDVD、これは良いですよね。同感です。
>企業との多額のスポンサー契約などの諸事情があるし、今は芸術家もスポーツ選手も、一流になるほど窮屈ですね。
そうですね。イメージを維持しなければならないというのはほんとに窮屈ですよね。雅之さんがおっしゃるとおり、品行方正であらねばならない理由がわかりません。それを裁こうとするマスコミや世間にこそ問題があるのだと思います。妬みなどもあるのでしょうが、世の中はどこの世界も足の引っ張り合いで人間不信になりますね。
極端な話、世の中のシステムを一度壊してしまわないとどうにもならないんじゃないでしょうか。
[…] 然自若とした悠久の流れに身を任せると心が落ち着く。こういう恍惚感はクナッパーツブッシュのワーグナー演奏に最も密接性を覚えるが、バウムガルトナーの演奏するバロックものに […]
[…] リッカルド・シャイーが何年か前に録音した「メンデルスゾーン・ディスカバリーズ」を聴きながら、スコットランド交響曲(ここに収められているのは1842年のロンドン稿というもので、一般に流布している版とは随分印象が違うけれど)はやっぱり稀代の名曲だなと独り思いに耽る。 メンデルスゾーンにマーラー・・・、ここのところの「ユダヤ」に関する話題、考察から、一方で「反ユダヤ」であったワーグナーについて少し考えてみる。確かに壮年期のワーグナーにはユダヤに対しての憎悪に近い思想を含めた著作があるし、例えば「マイスタージンガー」なども明らかにナショナリズムの最右翼的作品だといえる。しかしながら、どうも「指環」を生み出すあたりから彼の内部で何かが変化したのか、聴く者、観るものに伝えるメッセージが明らかに変わっているのも確か。最後の舞台神聖祝典劇「パルジファル」など、前奏曲にはメンデルスゾーンも「宗教改革」交響曲に引用した「ドレスデン・アーメン」が使われているし、敬愛したベートーヴェンと同じく、どうも神憑った「すべてをありのままに受容する」という考えについに行き着いてしまった感が受け取れる。 「ユダヤ」という形のないものに拘ること自体が実にナンセンスなのだが、逆に何千年と拘ってきた人類の浅薄さというか、そもそもそういう感情や思考に流されてしまうのが人間というものなんだなということにあらためて気づく。 […]
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