松岡正剛氏の「連塾―方法日本」シリーズの第2巻を書店で見かけ即購入した。タイトルは「侘び・数奇・余白~アートにひそむ負の想像力」。毎度のことだが氏の類稀なる博識の全貌、否、ほんの一部が講演をディクテーションするという形で書籍化されることは嬉しい限りである。松岡氏は「千夜千冊」というウェブサイトを運営されており、かねてより愛読させていただいているが、どの記事も知的好奇心の幅広さはもとより、広く深く思考を巡らされている様が明確に見てとれ、僕などが言うのもおこがましいことなのだが、毎々頭が下がる思いでいっぱいになる。
二者択一。迷ったときに人の意見を聴くことは大切だ。もちろん多くの人の考え方を聴けばよい。どっちをとればいいのかわからなくても良い。どちらをとっても正解だから。後年になって振り返ってみると、あの時あっちの選択をしていたらどうなっていたのだろうかと考えることがある。今とは違った人生になっていることは間違いないが、そっちの方が幸せだったかあるいは不幸だったかなどと比較することは到底不可能だ。
それにしても会社を辞めると決断した時、周囲が猛烈に反対し引き止めてくれる輩は幸せ者である。血気盛んな20代のうちにそういう体験ができる人は特にそうである。そんな時は思い止まりなさい。まだまだ君を必要としている人がいるんだよ、そういう人たちのお役に立てるよう精進しなさいとアドバイスを送りたい。
ヤマカズ先生と作曲者自身の指揮による團伊玖磨交響曲全集をひとつずつじっくりと聴いている。まずは初期の交響曲第1番イ調(1949)と第2番変ロ調(1956)の2曲が収められた1枚目を。團伊玖磨といえばオペラ「夕鶴」が至極有名だと思うのだが、僕としては作曲家というよりもエッセイストとしての顔の方に魅力を感じてきた。ちょうど僕が生まれた年にアサヒグラフで連載が開始された「パイプのけむり」は先生が亡くなる直前まで36年という長きに亘って書き継がれた化け物随筆である。身の周り、日常に起こる様々を独特の言い回しで語るその文章は、さながら團伊玖磨の独壇場であり、何気ない中にウィットに富んだものである。
ところで、件のシンフォニー。1956年に作曲された第2番変ロ調は50分を要する大曲だが、決してとっつきにくい音楽ではない。いや、むしろ前衛音楽花盛りの時代に逆行するかのようなロマンティシズムを感じさせる「豊かな」音楽が繰り広げられる。時に日本的な旋律が顔を出し、日本のチャイコフスキーかラフマニノフかというような印象を受ける。まさに團先生お得意のエッセイの如く、聴き手(読み手)がすんなりと許容できる世界観が見事である。
昨日の「早わかりクラシック音楽講座」のまとめをホームページにアップするため、参加者の感想を読んでいて、シューベルトの音楽が持つ魔力を思い知らされた。聴けば聴くほど奥深い世界の虜になる。クラシック音楽入門者といえども人間の感覚は同じようなものなのだろう。葛藤の裏、奥底に潜む「愛」。またもや内田光子のピアノ。相変わらず素敵だ。
シューベルト:ピアノ・ソナタ第15番ハ長調D.840「レリーク」&第18番ト長調D.894
内田光子(ピアノ)
1825年~26年作曲。しつこいようだが、この頃からシューベルトの音楽は「此岸」の音から「彼岸」の音へと変貌する。とても28、9歳とは思えない・・・。
Schwanengesang D.957 Frantz Peter Schubert
Der Doppelgänger D957-13
Heinrich Heine
Still ist die Nacht, es ruhen die Gassen,
In diesem Hause wohnte mein Schatz;
Sie hat schon längst die Stadt verlassen,
Doch steht noch das Haus auf demselben Platz.
Da steht auch ein Mensch und starrt in die Höhe,
Und ringt die Hände vor Schmerzensgewalt;
Mir graust es, wenn ich sein Antlitz sehe
Der Mond zeigt mir meine eigne Gestalt.
Du Doppelgänger, du bleicher Geselle!
Was äffst du nach mein Liebesleid,
Das mich gequält auf dieser Stelle
So manche Nacht, in alter Zeit?
シューベルト作曲『白鳥の歌』D.957より 〈ドッペルゲンガー(影法師)〉D957-13
原詩:ハインリヒ・ハイネ 訳:雅之
深い夜の静寂(しじま)、町は眠っている。
この家には昔、僕の恋人が住んでいた。
彼女はずっと以前に町を去ったが、
その家は今も同じところに立ったままだ。
気がつくともうひとり女がいて、虚空を凝視し
はげしい苦悶で両手をよじっている。
その女の顔を見て思わずぞっとする――
月が照らしだしたのはまさに僕自身の姿なのだ。
おまえ影法師・内田光子よ! 幽霊のような分身よ!
おまえはなにを真似ているのか。
あのころ毎夜毎夜この場所で
僕を苦しめた愛の想いなのか?
>雅之様
おはようございます。
確かに内田光子女史は幽霊っぽい風貌ですよね(笑)。
毎々思いますが、雅之さんの表現は抜群です。
ところで、先日のコメントにも少し触れられていましたが、雅之さんは内田のシューベルトはNGなんですか?