心のこもったもの

100130araki_concert.JPG新木真理子アフタヌーン・コンサート。5年の歳月をかけて練り上げる予定の「ロシア・チェロ・ソナタ・リサイタル(勝手に僕がつけました)」の手慣らしとして、まずはショスタコーヴィチのソナタをメイン・プログラムに据えたマチネである。

・J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調BWV1012
休憩
・バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
・ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタニ短調作品40
アンコール~ラフマニノフ:ヴォカリーズ
新木真理子(チェロ)
愛知とし子(ピアノ)
スタジオ・ヴィルトゥオージ(新大久保)

演奏者本人はどうやら納得いかない様子だったが、ショスタコーヴィチは真によかった。技術的に問題になる箇所はあったのだろうが、いわゆる「プラウダ」批判を受ける前後に書かれた名曲だけに、当時の作曲者の「安定」とも「不安定」とも判じ難い状態が手に取るように「わかる」演奏だったと僕は思う。そう、心の揺れ、微妙な軸のぶれ、それこそが若きショスタコーヴィチの「心」であり、「ありのまま」の姿なんじゃないかと共感できた。心のこもった贈りもの、そんなニュアンスの名演奏だったと断言する(緊張のあまり、第3楽章で本来つけるべき弱音器を付け忘れてしまったらしいが、そのあたりはご愛嬌である)。

一方、冒頭のバッハは正直ちょっと厳しかった。バッハの器楽曲、世俗音楽の表現はことのほか難しい(のだろう)。自由そうでありながら、きちっとした「型」に収まらざるを得ない堅牢さをもつ。特に第6番の組曲などは、本来は5弦のヴィオラ・ポンポーザのために書かれた曲のようだから、現代の4弦のチェロで奏するとなると難易度が極端に上がるのだという。

6曲があっという間に過ぎ去るバルトークは面白かった。以前ブログでクラリネット版を紹介したが、もともとチェロのために書かれている楽曲だから、素直に感心できた。それにしてもヴォカリーズはアンコールにぴったり。最初の主題が流れた瞬間に涙を誘う。名曲である。

心のこもった演奏をありがとう。多謝。

演奏会終了後、世田谷区議会議員である風間ゆたか先生のお宅で新年会。彼はかれこれ10数年前、3年ほど同じ釜の飯を食べた同志である。滅多に会うことはないが、今も会うと時計が逆戻りしたかのような錯覚を起こす。本日も風間先生(&奥様)の心のこもったお手製の料理をいただきながら、当時学生だった人々が集まって盛り上がった(そういう彼らももう32,3歳になるのだと)。時の経過はあっという間である。

心のこもった料理をありがとう。感謝。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
「新木真理子アフタヌーン・コンサート」聴きに行けなくて残念です。
>それこそが若きショスタコーヴィチの「心」であり、「ありのまま」の姿
名演、羨ましいですね。
ご不満もおありのようですが、こうしたプログラムはおそらく回を重ねる経験値が重要で、再演以降もっともっと深まるのではないでしょうか。ぜひ何度も再演の機会を!(できましたら当地でも!)
「ピアノを通してまだ見ていないもの、見えそうなものを、常につかんでいきたい。たぶん登山家と一緒です。その山を登り切れば、いい景色が見られる。それを見たら見たで、もっとよい景色が見たくなるのです」 ジャズピアニスト 上原ひろみさんの言葉(1月30日付朝日新聞 be on Saturday 「フロントランナー」より)
 

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>こうしたプログラムはおそらく回を重ねる経験値が重要で、再演以降もっともっと深まるのではないでしょうか。
そうですよね。5年後がとても楽しみです。
上原ひろみさんの言葉は志を持つ人誰にでも当てはまる良い言葉ですね。

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