シュペリング指揮ダス・ノイエ・オルケスター メンデルスゾーン 劇音楽「アタリア」(2002.5録音)

ジャン・バティスト・ラシーヌによる、旧約聖書に登場するユダの女王アタリアを主人公とする悲劇。王族の血を引くアタリアは、息子アハズヤが殺害されるに至り、自らが即位し、己の王位を守るために他の王族を皆殺しにする。「救世主が生まれる」といわれたダヴィデの正当な血筋まで断ち切ってしまう暴挙に民衆は大反発。結局、息子アハズヤの子ヨアシュが生き延び、次の王位を継ぎ、アタリアは処刑される。

1845年、メンデルスゾーンはラシーヌのこの戯曲に音楽を付した。

メンデルスゾーンにとって、聖書は日々の生活の土台であるばかりでなく、多くの作品に着想を与えた。聖書の句に曲をつける時、彼は言葉に対して厳格なまでに正確を期した。この作曲家をよく知っていた友人によれば、「彼は、信仰に関わるすべてのことは、聖書に基づかなければならないと感じていた」。メンデルスゾーンは台本作家を称えてこう述べた。「君が、聖書の言葉の、常に心を打つあの感覚を探り求めているのが分かってうれしい」。聖書の言葉が変えられていた時は、こう語った。「私は何度も聖書の本文通りに戻さなければならなかった。結局のところ、それが最善なのだ」。
パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P89

心より信ずることの大切さというのか、メンデルスゾーンの心の拠り所となった聖書からの発露といえど、その作品は決して抹香臭いものではなく、むしろ俗的で、歌謡的、人々の記憶に容易に残る旋律の宝庫だ。

フランスでは、20世紀の初期には、メンデルスゾーンへの評価はまだ二派に分かれていた。彼をひどく嫌っているドビュッシーは、「上品で気楽な公証人」というレッテルをはって常にメンデルスゾーンを酷評している(なぜ公証人なのか、おやおや!)。それとは逆に、ロマン・ロランは次のように指摘する、「今日彼らに対するあまりの不当な仕打ちに反発してラヴェルはメンデルスゾーン(およびグノー)を擁護している。彼は(前衛的な音楽家としては勇気のいることだが)メンデルスゾーンの幾節かが深く彼を魅了することを隠さない・・・」。
レミ・ジャコブ著/作田清訳「メンデルスゾーン」(作品社)P8

実際、メンデルスゾーンの音楽は幾節かばかりでなく、多くが僕を魅了する。
一般的にはほとんど認知されず、また実演に触れる機会すらまずない劇付随音楽においても地味ながら、音楽の隅から隅まで明朗快活で、いかにもメンデルスゾーンの成せる業だといえる。

・ラシーヌの戯曲への付随音楽「アタリア」作品74(エデュアルト・デフリーントの加筆付エルンスト・ラウパッハ翻訳)(1845)
アンナ・コロンディ(ソプラノ)
ザビーナ・マルティン(ソプラノ)
アン・ハレンベリ(コントラルト)
バーバラ・オックス(コントラルト)
ディルク・ショルテマイアー(ナレーター)
コルス・ムジクス・ケルン
クリストフ・シュペリング指揮ダス・ノイエ・オルケスター(2002.5.7-10録音)

悲劇なれど、ベートーヴェンのような闘争はここにはない。メンデルスゾーンの音楽はどこまでも良心的で優しく明るい(ただし、ドビュッシーの認識のような、上品さや気楽さを僕は認めない。あくまで地に足の着いた、もっと俗的な、大衆を感化できる力がここにはあると思う)。
クリストフ・シュペリングについてもダス・ノイエ・オルケスターについても、残念ながら僕はよく知らない。しかし、彼らの奏でる音楽は重心低く、メンデルスゾーンの核心を衝く。そうまさに、ドイツ的重厚さとイギリス的気品を備えた再生なのだ。

メンデルスゾーンは、バッハの作品や賛美歌に精通することによって、新教的な教養で自己形成した。宗教的なまた世俗的なラテン語の芸術に、彼は魅力を感じていたのである。ただ、彼の音楽のあちこちに明らかにイタリア風のものが認められるにしても、その魅力に溺れることはなかった。本質的にはドイツ的でありながら、奇妙なことに彼はシェイクスピアの影響を受けて気質を磨いたのである。9回も赴いたイギリスへの愛着の動機を彼個人の成功の理由に限定することはできない。《夏の夜の夢》の奇跡的な成功は、ヴィクトル・ユゴーや、ソフォクレス、ラシーヌの場合は再現されなかった。それでも彼らの悲劇のために書かれた付随音楽は高く評価されてよいだろう。
~同上書P15-16

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