バーンスタイン指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「フィデリオ」(1978.2録音)ほかを聴いて思ふ

ジェスロ・タルからザ・ドアーズへ。連想が連想を呼んで、最後に至ったのはベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」。
すべては空想の中にあり、また幻なのかもしれぬ。

“Touch Me”はポップス感溢れる名曲だと僕は思う。
ブラス・セクションとストリングを大幅に導入したザ・ドアーズは、ザ・ドアーズたりえるのか?確かリリース当初、”The Soft Parade”は賛否両論の渦を巻き起こしたのではなかったか?ポップ路線を追求することの何が悪いのだと言わんばかりに、ここでもジム・モリスンが咆え、叫ぶ。ザ・ドアーズはどんな音楽を演奏しようと、ジム・モリスンがいればザ・ドアーズなのだ。

・The Doors:The Soft Parade (1969)

Personnel
Jim Morrison (lead vocals, maracas, tambourine)
Ray Manzarek (piano, Gibson G-101 organ, RMI Electra Piano, Hammond organ, harpsichord)
Robby Krieger (lead guitar, co-lead vocals)
John Densmore (drums)

知覚の扉澄みたれば、人の眼に
ものみなすべて永遠の実相を顕わさん

オルダス・ハクスリーの「知覚の扉」冒頭に掲げられたウィリアム・ブレイクのこの言葉からインスピレーションを得て、バンド名が決定されたザ・ドアーズの音楽は、時空を超え、麻薬的だ。いや、時を経るほど色褪せるどころかますます意味深く、そして色濃く僕たちの心を鷲づかみにする。

ハクスリーが、メスカリンの被験者として幻覚について報告をあげるこの書は実に刺激的。

視覚型の人は多くはメスカリンによって幻視者に変容する。なかには—一般に考えられているよりもおそらく多いと思われるが—変容を必要としない人もいる。その人たちは常に幻視者なのである。
オルダス・ハクスリー/河村錠一郎訳「知覚の扉」(平凡社)P58

ハクスリーの幻視体験が興味深い。

私が薬を飲んだのは十一時である。一時間半後には、私は書斎に坐って小さなガラスの花瓶に眼を凝らしていた。花瓶には花が三本活けてあるだけであった―一本は満開の「ポルトガルの美女」という薔薇で、色は褐色を帯びた赤黄色、花弁の付根のところは熱い、炎のような色をしていた。それと深紅色にクリーム色の大きなカーネーション、そしてもう一本は折れた茎の端に淡い紫色の花を付けている菖蒲で、紋章のように輪郭のくっきりした花を付けていた。この小さな花束は、偶然の、一時の組合せにすぎず、伝統的な良き趣味なるものの持つ規則をすべて破っていた。その日の朝は、朝食を取りながらこの色彩がひどく不調和だと感じたのに、いまはもうそんなことは問題ではなくなっていた。私がいま眼にしているのはおかしな活け花ではなかった。私が見ているのはアダムが創造された日の朝彼が眼にしたもの—一刻一刻の、裸身の存在という奇蹟だったのである。
~同上書P18

メスカリンによってオルダス・ハクスリーの体験した世界はそれこそ赤裸々なありのままの世界だった。何より自らを人体実験者に仕立てた勇気に僕は感動する。

ところで、18世紀末、モーツァルトと同じ頃生を得、ベートーヴェンよりもう少し後に死を迎えた蘭学の医者が江戸時代の日本にあった。名を花岡青洲という。彼は、全身麻酔薬を発明し、それによって初めて乳癌の摘出手術に成功したが、その背景には母於継や妻加恵の無償の尽力(有吉佐和子の創作のように、たとえ嫁と姑の間の確執からの競合の想いが裏側にあったにせよ)があったことを忘れてはならない。

加恵は前日、髪を洗った。於継に倣ったわけではない。あれから半年たって、今度加恵に薬を飲ませてみると青洲が云い出したときの於継の落胆ぶりを思い出していた。於継とは較べものにならない長い長い髪を、加恵は秋の陽ざしの中で悠々と解いて洗い、小弁に手伝わせて幾度も濯いだ。十歳になる娘が無心に加恵の毛先を揉み洗いながら、
「長い髪やの。私のはいつになったらこないになるのやろか」
と云うのをきいていると、加恵はひょっとするとこれが親子の別れになるかもしれないと、熱いものがこみ上げた。
有吉佐和子著「花岡青洲の妻」(新潮文庫)P158

女の鬼気迫る覚悟が美しい。これこそまさに女性の純愛。
ちなみに、青洲がこんな人体実験に明け暮れていたであろう時期、遠くヨーロッパではベートーヴェンがブイイの原作をもとに幾度もの改訂を重ね、ひとつのオペラを創造し、成功を収めていた。歌劇「フィデリオ」。このオペラも妻が夫を救う、女の純愛の物語だといえる。

・ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」作品72
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ、レオノーレ)
ルネ・コロ(テノール、フロレスタン)
マンフレート・ユングヴィルト(バス、ロッコ)
ハンス・ゾーティン(バス、ドン・ピツァロ)
ルチア・ポップ(ソプラノ、マルツェリーネ)
アドルフ・ダラポッツァ(テノール、ヤキーノ)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン、ドン・フェルナンド)、ほか
ウィーン国立歌劇場合唱団
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1978.2録音)

第2幕冒頭、牢屋につながれた、ルネ・コロ扮する絶望のフロレスタンが妻レオノーレへの想いを歌うアリア「神よ、ここは何という暗さなのだ!」がことのほか素晴らしい。

人の世の春の日に、
幸福は私から逃げ去った。
真実を大胆にあえて言ったばっかりに報いはこの鎖です。
アッティラ・チャンバイ/ティートマル・ホラント編「名作オペラブックス③フィデリオ」(音楽之友社)P95

「レオノーレ」序曲の主題が悲しく響く。

一人の天使がバラの香気の中に
私をなぐさめようとすぐそばに立っているのが見える。
その天使はわが妻レオノーレに、そうだレオノーレに似ている。
そしてこの私を天国の自由なところに導いてくれるのだ。
~同上書P97

バーンスタインの生み出す音楽は、生き生きと、縦横に世界を駆け巡る。
何と生命力満ちる「フィデリオ」!!

そういえば、恋人パメラ・カーソンが売ったヘロインの過剰摂取がもとでジム・モリスンは亡くなったらしい。

 

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