不安と勇気が混在する音楽

今年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンは「サクル・リュス」と称するロシア音楽の祭典であるが、こんなものはさほどの人気はあるまいと高を括っていたこともあり、チケット獲得に出遅れた(行きたいコンサートのチケットが既に完売状態であることに少々吃驚した)。さすがにホールAやよみうりホールという大会場での催しはまったく問題なくとれそうだが、小規模の会場でのものは軒並みだめ。イリーナ・メジューエワのメトネルや庄司紗矢香ほかのショスタコーヴィチのトリオ、あるいはトリオ・ヴァンダラーによるアレンスキーのトリオなど興味深い作品が聴けないというのはまったく残念無念。
世の中にはクラシック音楽好きというのは予想以上にいるということなのだろうか。それよりも、チケットが1枚¥1,500とか¥2,500とかで手に入るというのが魅力的なのだろう。
一晩のコンサートが数万円という有名アーティストのリサイタルが結構空席が目立つという今の時代、やっぱり観客はいかに安く良い音楽を聴くかを主眼に動いているのだろうな。(そういう僕もそうだけれど)

で、やっぱりロシア、ソビエト音楽というのは暗いし地味だという印象は免れないものの、これほど大地に根ざし、人の心を揺さぶる音楽もそうそうはない。他の国々のものとは明らかに何かが違う。多分それは、人々の持つネガティブな感情、酷寒の北の大地が育んだと言っても良い「怒り」や「悲哀」そのもの、あるいは時には抑圧されたものからの「開放」が充溢する否定的感情の坩堝(いや宝庫と言った方が良いか)なのである。
つまりドイツや北欧や、もちろんイタリアやフランス、スペインとは異質の、独特の衣を纏った「音」なのである。特に、赤の時代の作品群は体制への反発と迎合が見事に同居し、同一の作曲家でもその時の状況、背景によってこんなにも違うのかという作風を示し、研究すればするほど奥深く、ついついのめり込んでしまう。

プロコフィエフなどは代表格(ショスタコーヴィチはこの際別格にして)。初期のモダニズムの頃の作品など若い頃は一向にピンとこなかったが、最近はこれらが実に面白い。

プロコフィエフ:
・ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品19
・ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調作品63
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)
アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団

20年以上前に仕入れた音盤で、当時はチョン・キョンファだから自動的に購入したもの。よって何だか僕の肌に合わず、随分長い間棚の奥底にしまっておいたもの。でも、相応に年をとり、しかもショスタコーヴィチやハチャトゥリアンなどを具に聴き、ラヴェルやバルトークなど同時代の音楽を徹底的に聴き込んできた今の耳からすると、確かに斬新だが、ほとんど「古典」とって良い耳障りで、第1番など美しいメロディの宝箱で、何度も繰り返し聴きたくなる。
昨日の会合でも少し話題になったが、チョン・キョンファはもう完璧に無理なのだとか。
一体何があったのだろう?肉体的な衰えというより精神的なものなのか・・・。
彼女の弾くプロコフィエフを聴いていると、強靭に見えながら実は非常に繊細な心が垣間見え、この人は、本当は精神的には決して強い人ではないのかもという推理が過る。もちろん僕の勝手な独断的見解だから何の根拠もないのだけれど。
「不安」と「勇気」が混在する音楽。プロコフィエフにもショスタコーヴィチにも共通するポイント。そうか、チョン・キョンファのヴァイオリンにもこの2つが同居する・・・。

ということで、このプロコフィエフの録音は絶品。


2 COMMENTS

雅之

>チョン・キョンファはもう完璧に無理なのだとか。

人間は変化し続ける生き物です。きっと演奏しなくても充分幸せになれたんでしょう。

いつか、一夜限りでも復活してくれることを祈りたいですね。

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