着想力

j_c_bach_linde.jpg僕はおそらく「着想」が低い。斬新なアイデアを出し、新しいこと、モノを多角的な視点から創造する能力に欠けている。「着想」とは、過去と未来をつなぐ架け橋のようなもので、「着想力」が高い人は、すなわち過去と未来を自由に行き来できる能力を持つ人なのだと僕は思う。

「今」は点であり、その「点」の連なりが歴史である。過去と未来はつながっている。温故知新。要は、ベクトル―向かうべき方向性だけ明確に決め、あとは流れに任せるというのが実は一番手っ取り早く正しい方法なのではないだろうか・・・。

先日、「早わかりクラシック音楽講座」で採り上げたホルストなどは、過去にも未来にも同等に目を向けられた作曲家だった。いや、ホルストに限らず、古今東西、現代に名を残している音楽家はジャンルを問わず皆そういう視点、力―すなわち「着想力」をもった人たちだったのだろう。歴史から学ぶことは多い。

ところで、僕の長所、強みは「親密性」であり、「共感性」である。よくよく考えると「親密性」とは過去を向いており、「共感性」は今を志向している。ということは、自分自身が「今」という過去と未来をつなぐポイントをより意識することで実は未来が拓けてくるのではないかと思うのだ。そしてまた人と人をつなぐ接着剤としての役割を担っているようにも思うのである。天は二物を与えず、「着想」が低い分備わった能力なのだと無理やり納得させる。自身の「強み」を認識し、それを助長するような行動を起こしていくことは重要だ。人は誰しも壁にぶち当たらないと気づかない。うまくいっているときほど聴く耳をもたない。ついつい傲慢になってしまうのだ。だからスランプがあっていいのである。生涯卒業、つまり終わりはない。常に勉強なのである。

今から考えると2009年度は大変な1年だった。動けども動けども成果が上がらず、石川啄木ではないが「働けど働けどわが暮らし楽にならず、じっと手を見る」という年だった(汗)。それは多くの人たちに共通している事象だったらしい。我慢の1年が過ぎ、ようやく雪解け・・・。

六義園散策から帰った後、Derek & The Dominosの”Layla and other assorted love songs”を聴いた。Eric Claptonの変幻自在のブルース・ギターは不滅である。昨日のJeff Beckとはまた違った音であり、エネルギー(ただし、いずれのギタリストも過去と未来の懸け橋を担っていることがよくわかる。なぜなら30年以上前の音源がまったく古くならないし、常にフォロワーが存在しながら、二人とも唯一にして無二の存在だから)。

そして、夜にはバッハ、それもヨハン・セバスティアンではなくヨハン・クリスティアン。彼の繰り出す音には古さと新しさが同居する。モーツァルトとはまた違い、ハイドンとも違う独特の「着想」があるのだ。

J.C.バッハ:
・交響曲ニ長調(歌劇「スキピオの慈悲」序曲)
ハンス=マルティン・リンデ指揮カペラ・コロニエンシス
・チェンバロ、弦楽と通奏低音のための協奏曲ヘ短調
クリスティーネ・ショルンスハイム(チェンバロ)
ベルリン・バロック・カンパニー
・2つのオーケストラのための交響曲ホ長調作品18-5
ハンス=マルティン・リンデ指揮カペラ・コロニエンシス
・交響曲ト短調作品6-6
ヴェルナー・エアハルト指揮コンチェルト・ケルン

ト短調交響曲は明らかにモーツァルトの小ト短調に影響を与えている。こういう音楽を聴くと天才モーツァルトも先達の延長線上にあることがはっきりわかる。やっぱり「着想」とは過去と未来を自由に行き来できる類稀な能力なんだな・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
昨日は行楽日和でしたね。私は奈良に行きましたが、大変な人出で疲れました(笑)。
>僕の長所、強みは「親密性」であり、「共感性」である。よくよく考えると「親密性」とは過去を向いており、「共感性」は今を志向している。ということは、自分自身が「今」という過去と未来をつなぐポイントをより意識することで実は未来が拓けてくるのではないかと思うのだ。そしてまた人と人をつなぐ接着剤としての役割を担っているようにも思うのである。
多分にご謙遜かと思いますが、もしそうであるなら、極めてヴィオラ的なご性格かと(笑)。ヴィオラ、始めてみませんか?(と、魔のお誘い・・・笑)
>Derek & The Dominosの”Layla and other assorted love songs”を聴いた。Eric Claptonの変幻自在のブルース・ギターは不滅である。昨日のJeff Beckとはまた違った音であり、エネルギー
ある本によりますと、両盤は、ストラトキャスターとレス・ポールの使用楽器の違いによる、奏法、音色、効果も際立っているそうですが、このあたりは岡本さんのブログを契機に、じっくり聴き直し、勉強してみたいと考えております。ご教示よろしくお願いします。
ご紹介のJ.C.バッハのSACDは未聴ですし、一曲、一曲についても聴き込み不足で、今脳裏に思い浮かびませんが、彼の作風はイメージできます。
>こういう音楽を聴くと天才モーツァルトも先達の延長線上にあることがはっきりわかる。やっぱり「着想」とは過去と未来を自由に行き来できる類稀な能力なんだな・・・。
人は誰しも、過去と未来を自由に行き来し、先人や他人の知の蓄積の上に新しい一歩を積み重ねて生きているのだと思います(それが文明というもの)。ただ、その積み重ね方で、人によって大きな差が出てしまうんですよね、悲しいかな・・・。
↓こんなイメージ
Mozart Vs Salieri
http://www.youtube.com/watch?v=-ciFTP_KRy4&feature=fvw
あくまで後世の創作ですが、よくできた話ですよね。ただ、ヒール役のサリエリも、実際は凡人などではなく、いい曲たくさん書いていますよね。
「アマデウス」  ディレクターズカット Blu-ray Disc
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3779917
余談ですが、一度Blu-ray Disc の高画質を体験すると、DVDの寝ぼけた画像にはもう戻れなくなるって、噂どおりですね。SACDとCDの音質の差どころではないですね、これは・・・、びっくりです。音楽や映画のDVDソフト、けっこう沢山持っているだけに、ショックでかいです。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
今日も行楽日和ですね。
奈良ですか!今年は遷都1300年祭でさぞかし賑わっているんでしょうね。
>もしそうであるなら、極めてヴィオラ的なご性格かと
なるほど、ヴィオラ的なんですね!そういわれればそんな気もします。やっぱり雅之さんに倣ってこの楽器を始めろということなんですかね?(笑)
>両盤は、ストラトキャスターとレス・ポールの使用楽器の違いによる、奏法、音色、効果も際立っているそう
楽器の違いも当然あるんでしょうが、やっぱり二人の音楽性、志向性の違いが明確にわかるところが面白いです。
>人は誰しも、過去と未来を自由に行き来し、先人や他人の知の蓄積の上に新しい一歩を積み重ねて生きているのだと思います(それが文明というもの)。ただ、その積み重ね方で、人によって大きな差が出てしまうんですよね、悲しいかな・・・。
おっしゃるとおりですね。ご紹介いただいた「アマデウス」のシーンもうまくできていると思いますが、サリエリがあまりに悪役にされているところが、ちょっと・・・ですね。良い曲ありますから。
>Blu-ray Disc の高画質を体験すると、DVDの寝ぼけた画像にはもう戻れなくなる
これはそうらしいですね。僕はまだBlu-rayは所有していませんが(最近映像をゆっくり観なくなりました)、友人宅で観た時驚きました。Laser DiscからDVDに移行した時も相当ショックででしたが、この進歩もコレクターとしては辛いですね。ただ、いずれまたBlu-rayにとってかわるメディアが出てくるんでしょうから集めるのはどうなんでしょう?

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