
「レコード芸術」の名のとおり、古の、レコードのために録音された演奏は、いずれもが永遠不滅だと、古い録音を聴くたびに僕は思う。
(あらえびすの著書を読むたびに、高等遊民の贅沢な遊びの一環であると思うが、今のように手軽に「レコード芸術」を体験することのできなかった時代であるがゆえの高尚さがそこにはあるように思うのだ)
久しぶりにブッシュ四重奏団を聴いた。
かれこれ1世紀も前の録音を前にして、懐かしさと高貴さの両方を味わわせていただけた。
音楽は時空を超えて輝きを放つ(もちろん良い意味で)高踏芸術だとつくづく思う。
ああ、わびし! あの気軽さも、すなおさも
遠い昔となり果てた!
やるせないほど退屈な思いの冬に沈む身に
昔の「春」がなつかしい!
見たまえ、独りして今あるわれの哀れさを、
伴侶もなく、独りさびしく、ひしがれて
老爺ほど心は冷えて
姉もたぬ孤児ほども貧しげに。
「ねがい」
~堀口大學訳「ヴェルレーヌ詩集」(新潮文庫)P19-20
鬱積した悲しみこそが芸術の源なのだろう。
同じくブラームスの音楽も実に内省的で、鬱屈した歪があり、一方、開放的な、愛に溢れた祈りもある。
たった一つのピアノ五重奏曲。
若きブラームスの憂愁。内燃する哀感を解放する第1楽章アレグロ・ノン・トロッポ。
そして、夢見る第2楽章アンダンテ・ウン・ポコ・アダージョの清廉な歌。
第3楽章スケルツォはいかにもブラームスという音楽で、ここはゼルキン&ブッシュ弦楽四重奏団の真骨頂だ。終楽章の意味深さも他を圧倒する。
かつてあらえびすは次のように書いた。
ブラームスのピアノ四重奏曲とピアノ五重奏曲には気魄と情熱があって、非常に面白い。この形式がブラームスの性に合っていたというものだろう。
~あらえびす「クラシック名盤楽聖物語」(河出書房新社)P229
そして、ピアノ四重奏曲イ長調。
優美なブラームスの愛の音色。やはりここにもあらえびすの言う気魄がある。
「ピアノ四重奏曲=イ長調(作品26)」は更に優艶で、ビクターに入って居るゼルキン(ピアノ)、ブッシュ(ヴァイオリン)、ドクトル(ヴィオラ)、ヘルマン・ブッシュ(チェロ)の演奏は均斉のよさと、ブラームスに対する理解の深さで、前者(ルービンシュタインとプロ・アルテ弦楽四重奏団によるト短調作品25)に優っている。
~同上書P229
いかにも古臭いポルタメント奏法が逆に懐かしさと浪漫を示す。
第2楽章ポコ・アダージョが絶品!
これぞヨハネス・ブラームス!