ベートーヴェン生誕250年記念 バッハ・コレギウム・ジャパン 《第九》

鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパンによるベートーヴェンの第九を聴いた。
だいぶ前にリリースされたワーグナー編曲によるピアノ伴奏版に触れていたお蔭で、どんな響きになるか、大方予想はついていたが、想像以上に激するベートーヴェンだった。
何より、合唱付きの終楽章と前3楽章のアンバランスさが殊更に露呈した解釈で、あまりに終楽章だけが力の入り過ぎた凡作として僕の耳には残ってしまった感がある。

畢生の大作ミサ・ソレムニスの後、確かにベートーヴェンは自身の死期を予測し、時間の限られた中、意志の本懐である「皆大歓喜」を音化すべく、無理矢理フリードリヒ・シラーの頌歌をくっつけて、何とか交響曲としての形を保とうとしたのかもしれないという想像が頭を過る。もちろんそれによって人気の高い、人心を鼓舞する作品が出来上がったのだろうから、音楽史上の意義としては大いにあるし、また、それで良いのだとも思うのだが。

地上に天国を創出しようとしたベートーヴェンの意志は、冒頭に奏されたバッハのパッサカリアとフーガの対比によって一層明らかになったのではないか。あくまで教会の威厳を損なわず、人間とはかけ離れた神の国、神の永遠の境地を音楽によって表そうとしたヨハン・セバスティアン・バッハの威光。対して、世界を喜劇として捉え、崇高さよりも俗的な、人間的な心のうちを音楽によって示そうとしたベートーヴェンの情感。
小編成のオーケストラと合唱による演奏によって、ベートーヴェンの真意が透けて見えたという意味では、今日のコンサートは大成功だったと僕は思う。

ベートーヴェン生誕250年記念
バッハ・コレギウム・ジャパン
《第九》
2020年12月27日(日)18時開演
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル
・J.S.バッハ:パッサカリアとフーガハ短調BWV582(オルガン独奏)
鈴木優人(オルガン)
・ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
森麻季(ソプラノ)
林美智子(アルト)
櫻田亮(テノール)
加耒徹(バス)
鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン

前半のバッハが実に美しかった。
パイプオルガンの夢見るような音色、時にうなりを見せる音は知的であり、また、静かに奏される瞬間は優しさの極致だったように思う。これぞ慧眼と慈眼の均衡取れた最高の音楽の結晶だと僕は実感した。


一方、《第九》は、第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ,ウン・ポコ・マエストーソからアタックの厳しい、俗人的ながら聖なる森羅万象の音が轟く有機的な演奏が繰り広げられた。指揮者もオーケストラも存分に力が入っていたのである。続く、第2楽章スケルツォは、ベートーヴェンの本懐であり、まさに喜劇、道化の反復であった。(合唱と独唱陣の登場を待ち)あまりにあっさりとした第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレは、途中のホルンのひっくり返りにヒヤッとさせられるも、美しい瞬間多々で、最後の警告の場面は真に心迫る圧倒的な音場がホールを包んだと思う。
ちなみに、冒頭にも書いたが、何にも増して、ここぞとばかりに指揮者もオーケストラも気合いの入ったのが終楽章。少々暴力的にも思える音響が見事に「歓喜」の様を表現していたと思うけれど、ほんの少し興覚めな、冷静な僕がいたことをここには記しておく。
《第九》は合唱をもってして「お祭り」なのだとあらためて思った。

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