夜想曲

debussy_nocturnes_detoit.jpgまる一日大学の講義。渋谷にある某大学での2限、3限の講義の後、千葉の津田沼に向かい、これまたとある大学で90分の授業。いろんな学生がいる。平成生まれのスター・チャイルド君たちのことは到底理解できないかな、などと思いながら始めた講座だが、基本的に皆素直。言うことはきちんと聞くし、時折ざわつくことはあっても、そこはまだ18歳の少年少女たち。今のうちから就職や人生のことを考えておくことの重要性を説くと、表立っては積極的に感情・思考を表現しないものの、授業後のアンケートなどを読むとやっぱりよかったというコメントをいただけるのだからありがたい。

千葉では新3年生を対象に、就活前にインターンシップに参加することの大切さをプレゼンテーションしてきたが、活動の大変さを皆自覚しているのかはっきり眼の色が違う。ともかく他人事ではなく、納得のゆく就職をしたいと思っている学生が多いようだ。
大卒求人倍率がまたもや下がり、1.28倍という。大変な時代だ・・・。まぁ、しかし、こういう時代だからこそ人は甘えず頑張れるのだ。それぞれが自分がやらねばならないことを意識して、行動に移してゆくことだろう。新しきこと、知らないことにどんどんチャレンジだ。

ホルストが1914年に稀代の名作、組曲「惑星」を作曲した際、影響を受けた音楽に、ストラヴィンスキーやドビュッシー、シェーンベルクなどの「新しい音楽」がある。パリのシャンゼリゼ劇場での初演時、怒声と嘲笑の声が飛び交ったというピエール・モントゥーによるバレエ音楽「春の祭典」は、21世紀の現代においても十分刺激的かつ原始的な官能性をもつが、幾分古典と化しいまや普遍的になってしまった感がある。その初演から時を経ずしてイギリスでも演奏されたようだが、その場に居合わせたホルストはその音楽を聴いて何を思ったのだろう(それ以前の、1909年2月27日には、ドビュッシー自身の指揮により自作の「ノクチュルヌ」から第3曲「シレーヌ」がクイーンズ・ホールにおいて披露され、そのコンサートにもホルストは触れているようだ)。

ホルストの感性は多分に未来志向だった。これまで聴いたこともない新しい試みにすぐさま反応した。そしてそれを自分の言葉として昇華し、彼らしい音楽を創出し続けたのだから立派なものである。「惑星」以降の彼の作品は相応の評価を受けていないし、一般的に耳にする機会も決して多くはないが、つい先日までホルストを「一発屋」扱いしていた僕をして、少しずつ理解を深めさせてくれているのだから、彼の作曲能力は本物なんだろう。反省することしきり、である。

久しぶりにデュトワが指揮したドビュッシーを聴いた。ホルストが感激しただろう「シレーヌ」は本当に美しい。

ドビュッシー:
管弦楽のための映像
3つのノクチュルヌ
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

この音盤が発売されたのはかれこれ20年近く前に遡ると思うが、当時は良いとは思えなかった。さっぱり理解できなかった。

僕はいまもってしてもドビュッシーを完全に理解したとは言い難い。長い間―クラシック音楽愛好人生のほとんどドビュッシーは封印していた、いや「わからなかった」と言っても言い過ぎでない。ただし、齢40を過ぎ、ようやくその洗練された不思議な響きがすんなりと、しかも耳に心地よく入ってくるようになった(ように思う)。

ドビュッシー自身の言葉。
「『シレーヌ』。これは、海とその数えきれないリズムで、それから、月の光に映える銀色の波の間に、魔女たちの神秘な歌があらいさざめいてよぎるのが、きこえる」

嗚呼、昨日のマーラーではないが、今日の僕の脳みそは支離滅裂だ・・・。


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ドビュッシーの曖昧模糊さが苦手なかたには、デュトワのデッカ録音より、むしろ、ブーレーズ(古い録音ほどよい)やミュンシュなど、もっと輪郭のくっきりした演奏と録音のほうが、意外にピンとくるかもしれませんよ。バーンスタイン指揮聖チェチリア音楽院管弦楽団も、デュトワとは真逆のアプローチですが、ダイナミックなスケールで、かつ克明で素晴らしい名演でした。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC-%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%98%A0%E5%83%8F-%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC/dp/B000BDJ408/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=music&qid=1272059262&sr=1-3
安心してデュトワのデッカ録音だけ聴いていても、ドビュッシーへの理解はむしろ遠くなるのではないかとも、最近は思います。
ドビュッシーは、西洋音楽が古典から現代音楽に向かう道筋の一里塚ですよね。この、古典形式解体の流れは、エントロピーの法則
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%BC
のようなもので、歴史の必然なのでしょうね。
尺八の横山勝也さんがお亡くなりになられましたよね。ドビュッシーの後継者、武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」演奏は、今後より自由なものに拡散していくのでしょね。
より大きな自由を手に入れるということは、失うものも多いということですね。
芸術も、国家も、そして人間も・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>ブーレーズ(古い録音ほどよい)やミュンシュなど、もっと輪郭のくっきりした演奏と録音のほうが、意外にピンとくるかもしれません
なるほどですね。ちょっとそのあたりじっくり聴いてみます。何か開けるかもしれません。あと、ご紹介のバーンスタイン&聖チェチーリア盤懐かしいですね。これは昔クラシカ・ジャパンで放映されたものを録画して持っていますが、昨日のコメント欄での話題にもあったように、ドビュッシーの管弦楽曲も映像で確認しながら聴くとまた違いますよね。
http://classic.opus-3.net/blog/cat29/post-406/#comments
>古典形式解体の流れは、エントロピーの法則のようなもので、歴史の必然なのでしょうね。
時間と空間の芸術である音楽こそはまさにこの法則にあてはまりますよね。ドビュッシーが一里塚になっているという事実は頭ではわかるのですが、「彼が何をやったのか?」についてはきちんとつかめていないので、今度じっくりとご教示ただきたいと思います。
>より大きな自由を手に入れるということは、失うものも多いということですね。
芸術も、国家も、そして人間も・・・
おっしゃるとおりです。

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