アレグロ・コン・ブリオ

beethoven_eroica_toscanini_39.jpg艶やかさの微塵もない火を噴くような「エロイカ」。ベートーヴェンがナポレオン・ボナパルトに捧げるつもりでありながら結局撤回した大交響曲。偉大なるアルトゥーロ・トスカニーニは、「英雄」という標題に決して惑わされることがない。ただの「アレグロ・コン・ブリオ」として純粋に音楽を紡ぎ出す。デッドな響きが功を奏したのか、最初のトゥッティによる2つの音からすべてが剥き出しにされる。余分な響きがない分、そこにあるのは「英雄」の本質のみ。

音楽を理解する方法。僕が若い頃からとる手段は、ミニチュア・スコアを片手に、一切の外部の音を遮断し、ヘッドホンで一音洩らすことなく集中して聴くこと。正確に譜面を読むことはできないが、何となく音符を追うことはできる。マーラーやリヒャルト・シュトラウスほどのスコアになると手に負えないが、ベートーヴェンあたりのオーケストラ譜なら何とかついていける。そうやって繰り返し聴くことで、音楽が血となり肉となる。そして、できればいろいろな指揮者の演奏を聴き比べること。さらに、自分ならこんな風にやると勝手に想像、空想すること。それによって創造者になった気分を味わい、音楽が湧き出て消えてゆく、そんな一瞬を体感できる。

僕が高校生の頃、世の中にウォークマンなるものが出現した。衝撃だった。録音機能のないただカセット再生のためだけの手の平に乗る機械。通学の往復のバスの中でいろいろ聴いた。当時の僕はフルトヴェングラー派だったから、専らウィーン・フィルとのスタジオ録音盤とウラニアの「エロイカ」といわれる戦時中の放送録音中心。例えば、もう一方の雄と言われたトスカニーニの色気のない51年盤はあまり好きでなかった。

ベートーヴェン:
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1939.10.28)
・「レオノーレ」序曲第3番Op.72a(1939.11.4)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団

この指揮者の真価は絶対に録音では伝わらない。特に若い頃はどのレコードを聴いても最後までもたなかった。古い録音の割には聴きやすい音なのだが、何せあまりに乾ききった音だったから。想像力を膨らませて、音盤に入っていない音像を思い浮かべながら身を浸せばそれなりに感動はあるのだろうが、当時はそんな術を持ち合わせていなかった。
ベートーヴェンに限らずトスカニーニの演奏を受け容れられるようになったのは随分後になってから。それこそいろんなジャンルの音楽を聴き、「引き出し」がそれなりに揃ってからのことだと思う。

それにしても、実演で触れたらほんとに火傷してたのではないだろうか・・・、そんなことを感じさせてくれる名演奏だ(と想像できる)、特に、この1939年の放送録音は。

天候不順のため皆既月食は見られなかった。残念。
さて、明日から岐阜・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
私もかつてはフルトヴェングラー派でした。
しかし、ルソー→『バスティアンとバスティエンヌ』→コルシカ島→ナポレオン→フランス革命→フリーメイソン・・・そうした「エロイカ」作曲の背景を考慮すると、もう、よくも悪くもゲルマン・ドイツ魂の象徴のようなフルトヴェングラーの名演だけがこの曲の理想のはずはないだろうと考えるようになりました。
・・・・・・楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながら歩く。
のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。・・・・・・
司馬遼太郎 著「坂の上の雲」(第一巻「あとがき」)より
http://www.amazon.co.jp/%E5%9D%82%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E9%9B%B2%E3%80%881%E3%80%89-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8F%B8%E9%A6%AC-%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4167105764/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1292968913&sr=1-1
そんな司馬氏がいう、明治の日本人が持っていた前向きな体質と、ベートーヴェンの不屈の精神には、何か共通したところがあるような気がします。
トスカニーニ指揮による、男らしく、右顧左眄せず、まことに潔い演奏、まさにぴったりじゃありませんか!!

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
おっしゃるとおりですね。ここのところ講座のためベートーヴェンのシンフォニーをいろいろと聴き漁っていますが、昔あまりピンとこなかったホグウッドのピリオド・スタイルでさえ、面白く聴いております。
自分の感性を信じることは大事ですが、「感性」という枠にとらわれすぎても損をしますね。
司馬氏の言葉、意味深いです。「坂の上の雲」も随分昔に読みましたが、大傑作ですよね。明治人もベートーヴェンもわかりやすく言い切ってしまうと「ハングリー」だったんだと思います。

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