フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのブラームス第2番(1952.5.7Live)ほかを聴いて思ふ

壮絶としか言いようのない音楽。
そのあまりの熱射と熱狂に、会場の聴衆が金縛りに遭っていたかのよう(旧い実況録音を超えてですら感じられる迫真に思わず僕は跪拝する)。

体裁を繕うのでなく、いかに赤裸々にありのままを見せることができるか否か。
自身の内面と直接に出逢うという勇気。我を忘れて音楽に没入し、あくまで聴衆のために音楽を創造しようとする様子が手に取るようにわかる。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの方法はいつどんな時も変わらない。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との演奏旅行。1952年5月7日、ミュンヘンはドイツ博物館でのライブ。呼吸の深さも音のうねりも、言葉にならない激しさ。音の波動を感じるように傾聴すれば、名演奏の条件に音の熱量と波動の高低の影響の大いにあることがわかる。そのことは録音すら超えて体感できるもの。

追悼に際し、アルフレッド・コルトーが残した言葉が的を射る。

おのれ個人の成功を求めるという姿勢からはまったく無縁なこの指揮態度のゆえにこそ、耳に残った感動は強く、そのこだまが人々の記憶から消えるには長い時間がかかるでしょう。しかもこだまは消えても、音楽の奇蹟という想念はいちだんと高められて人々の胸に残るのです。
このこだまは、わたくしの場合、ことに感動的に長く尾を引いて残るでしょう。少なくとも、運命の偶然によって仮にわたくしに頒たれている生命のあるかぎりは。
と申しますのは、わたくしたちは、来月、さ来月と相共に、シューマンの「ピアノ協奏曲」とセザール・フランクの「交響変奏曲」を録音する予定になっていたからです。氏の指揮のもとにあの演奏が実現できたら、わたくしの長い演奏生活のまれなひとときとなりましたろうにと、残念でなりません。
マルティーン・ヒュルリマン編/芦津丈夫・仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーを語る」(白水社)P29

戦中、ナチス・ドイツに留まったことが、結果的に戦後の彼の活動の幅を狭めることになったわけだが、フルトヴェングラーにはやっぱり私欲はなかった。あったのは、ただひたすら愛する音楽の再生と、それによって聴衆に喜んでもらいたいという想いのみ。それゆえ、どんなにオーケストラのアンサンブルが乱れようと、その音楽は血が通い、感動的なのだ。

ブラームス:
・交響曲第2番ニ長調作品73
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1952.5.7Live)
・ハンガリー舞曲第1番ト短調
・ハンガリー舞曲第3番ヘ長調
・ハンガリー舞曲第10番ヘ長調
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1949.4.4録音)

無我夢中のニ長調交響曲。
第1楽章アレグロ・ノン・トロッポ冒頭の仄暗い音の出から、終楽章アレグロ・コン・スピリート、コーダの猛烈な急加速の灼熱まで、ハラハラドキドキ、聴く者に弛緩を許さない。第2楽章アダージョ・ノン・トロッポは束の間の癒しの休息時間(その割に音色はあまりにデモーニッシュだが)。

ハンガリー舞曲も、小品とは思えない、一切手抜きのない、大交響曲並みの思い入れよう。音楽は伸縮し、跳ね飛び、僕たちを翻弄し、ウキウキさせる。

氏の演奏の本質的な要素は何であったか―否、何であるか(われわれはいまなおレコードでそれを知ることができるのです)を自問するとき、その感情の真正さ、形式への感覚、内的進行の原理、対照的な部分の調和ある呼応などを数えあげることができます。個々の部分がともにひとつの全体を形成していることを感じとるこの鋭い洞察力、曲を一貫して流れる大いなる生命を感受する能力、作曲家とおのれとを同化してしまうあのあり方―これらはひとり氏のものでありましたし、いまとなっては当然われわれの受け継ぐべきものです。
~同上書P32-33

エトヴィン・フィッシャーの残したフルトヴェングラー賞賛のこの言葉も見事。
音楽とは生命であり、命を懸ける没我こそがその音楽を優れたものにする鍵なのだと思う。

 

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