ムターのモーツァルト

mozart_mutter_karajan.jpg1982年、大阪国際フェスティバルで、ムターが外山雄三指揮大阪フィルをバックにモーツァルトの第5番のコンチェルトとブラームスのコンチェルトを披露した。そのコンサートは、僕が生演奏に触れた最初なのだが(実演デビューはかなり遅かった)、もうほんとに夢見心地で、2時間弱のひとときがあっという間に過ぎ去り、しばらく彼女の奏でる音楽に浸り続けていたいと心底思ったほど感動的だった。あれから30年近い時が経つ。その間、何度かムターの実演を聴いたが、大人になるにつれ確かに表現の幅が広がり、テクニック的にもより一層上手くなり、いまやヴァイオリン界の女王と称されるくらいまでその地位を確かなものにしているのだが、残念ながら18歳のムターを聴いた時ほどの感動を覚えたことが実は一度もない。

それは、ひょっとすると僕自身の問題もあるかもしれない。どんなことでも初体験の記憶というのは鮮烈で、余程のことでない限りそれに勝る経験をすることは難しいから。ただし、そういうことを差し置いたとしても、あの頃の若々しい、まだまだカラヤンの庇護の下、多少の迷いを見せながら、真摯に楽器に向かう少女の音楽は「不完全でありながら完全な」ものだったことは間違いない。特に、ブラームス!!ヴィオラとチェロとファゴットが第1主題を奏するやいなや僕はブラームスの、いぶし銀の如くの、老練の極みの世界に引き摺りこまれていた。ましてやムターのヴァイオリンが入ってくるところなどは悶絶モノで(大袈裟!)、初夏のフェスティバルホールの満員の聴衆の熱気などどこ吹く風、もうたった独り「自分の世界」に埋もれていたいとどれほど思ったことか。わずか30分ほどの至高の瞬間。あの時のこと、あの時の感覚は生涯忘れないだろう。

師のもとで勉強しながら自身の感性を飛翔させる、つまりある一定の枠を設けられたその中で、天才と呼ばれる芸術家はその才能を発揮する。そして、歳をとるにつれ誰しも師のもとから飛び立ち、独自の道を歩むことになるのだが、独立して以降にこそそのアーティストの真価が問われることになる。僕が思うに、師の影響が相当強いがゆえに、その「影」を拭えないまま、自分らしさ、本当の自分らしさを表現しきれる音楽家が少ない。ムターもそう。彼女が新しく録音したモーツァルトの協奏曲全集は決して悪くない。しかし、何だかあざとく感じるのだ。一部の隙も見せない完璧さが、少なくとも録音上は鼻についてしまう。師の指導のもとに一生懸命ついていきながらとことんチャーミングに歌うデビュー盤のモーツァルトには敵わない、僕にはそう感じられてならない。

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216&第5番イ長調K.219
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

梅雨が明けてから毎日滅法暑い。明日の準備(ワークショップZERO第2日目)等でほとんど外出をしなかったが、家の中にいても汗の玉が噴き出すほど。気分転換に読書をした。先日Oさんからお借りした「秘密諜報員ベートーヴェン(古山和男著)」。これが至極面白い!著者は、例の3通の「不滅の恋人への手紙」は恋文などではなく、ナポレオンのロシア遠征に絡む「暗号の手紙」だとの仮説を提示する。相応の説得力があるからなお面白いのだ。考え過ぎという意見もあろうが、音楽愛好家諸氏にはぜひとも読んでいただきたい。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
「秘密諜報員ベートーヴェン(古山和男著)」は、私はまだざっと流し読みしただけですが、おっしゃるとおり、相当大胆な仮説が滅法面白いです。
イギリス軍のフランス軍に対する勝利を描いたとされる『ウェリントンの勝利』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%8B%9D%E5%88%A9
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2654274
の聴き方については、今後変わるでしょうね。ショスタコの第5交響曲のように、世間の目を欺く意図や政治的メッセージが裏に隠されているかもしれませんね。改めてこの曲のスコアを眺めたくなりました。私は、ベートーヴェンともあろう志の高い作曲家が、何であんなにくだらない曲を書いたのかと、多くの音楽ファン同様昔からいぶかしがっていましたので、この本でのアプローチの延長線上で何かがまだ閃く予感がします(笑)。
この件については、今後私のコメント回数が膨らむ予感が大です(笑)。
ムターのご意見については、同感です。モーツァルトの協奏曲の録音も含め、昔の演奏の方が好きでした。
後年の相次ぐ結婚、離婚報道にも驚きました。
ただし、ここでも一面的な見方は危険という、私の心の中の警告ランプが点滅しています。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
>『ウェリントンの勝利』の聴き方については、今後変わるでしょうね。
なるほど、確かにそうですね。
>何であんなにくだらない曲を書いたのかと、多くの音楽ファン同様昔からいぶかしがっていましたので、この本でのアプローチの延長線上で何かがまだ閃く予感がします(笑)。
期待しております。しかし、そんなことを考えると。いわゆるベートーヴェンの愚作といわれているものには何らかの秘密が隠されてそうですね。例えば、トリプル・コンチェルト。以前も話題になりましたが、フリーメイスンと「3」について関係ありそうです。
>ただし、ここでも一面的な見方は危険という、私の心の中の警告ランプが点滅しています。
おっしゃる通りです。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む