朝比奈のモーツァルト

mozart_symphonies_asahina_kurashiki.jpg2002年の「朝比奈隆の軌跡」では、モーツァルトとチャイコフスキーの後期三大交響曲がカップリングされ、プログラムされていた。残念ながら前年12月29日の先生の逝去により、叶わない夢と化したが、大阪で開かれるコンサートにも関わらず、ともかく朝比奈隆のモーツァルトに触れる最後のチャンスだろうと、僕自身は意気込んで待機していた。何としても聴いてみたい、そんな一心だったように思う。

第39番については東京で実演に触れた。第40番については、生演奏はおろか録音ですら聴いたことがなかった(その後、グリーンドアから1991年の実況録音がリリースされた。朝比奈らしい重心の低いロマンティシズム溢れる名演奏だった)。とはいえ、第41番「ジュピター」などは間違いなく御大向けの音楽で、仮に生で聴けなかったとしても、キャニオンかエクストンが間違いなくCD化するだろうと踏んでいたので、本当に期待で胸がはちきれそうだった(大袈裟だけど、当時は本当にそう考えていた)。

モーツァルトの後期のシンフォニーなどはこれまでに何度聴いたことだろう?何百回・・・、何千回・・・?最近でこそほとんど日常的に耳にすることはないものの、それでも久しぶりに取り出して聴いてみると、驚くほど発見があり(指揮者やオーケストラによって表現の違いが如実に読み取れる)、これほど深い音楽が他にあろうかと思われるほど。やはり生涯の宝であると断言できる。

ところで、朝比奈隆が1989年~95年に、倉敷音楽祭で演奏したモーツァルトの交響曲が一挙にリリースされた。順番に耳にしているが、ご多分にもれずどれも朝比奈らしい名演で素晴らしい。「リンツ」などは少々不安定で表現も決して僕好みでないが、第40番や「ジュピター」に関していうなら、かのブルーノ・ワルターを彷彿とさせるゆっくりめのテンポと情感豊かな表現(特に40番!)が見事にツボにはまっており、実演を聴いてみたかったという念についついかられる。しかも、80年代朝比奈の演奏は例の新日フィルとのベートーヴェン・ツィクルス同様、若々しさに漲っており、輝かしい90年代の幕開けを予感させるような雰囲気満点で、繰り返し何度聴いても遜色のない「内なる凄味」を秘めている。

モーツァルト:
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」(1989.3.19Live)
・歌劇「フィガロの結婚」序曲
(1989.3.19Live)
・ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467(1995.3.21Live)
江尻南美(ピアノ)
朝比奈隆指揮倉敷音楽祭祝祭管弦楽団

ひとつひとつじっくり聴こうか・・・。

ワークショップZERO2日目を終え、エルーデ*サロンにて打ち上げ懇親会を催し、随分盛り上がった。人間はシンプルだが、ゆえに複雑だ。考え過ぎず、直感的に動ければ良いのだが、誰でもそうはなかなかいかない。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ご紹介の朝比奈先生のモーツァルト新譜は未聴です。素晴らしいのは容易に想像できますが、今の私は、1980~90年代の過去への執着とか拘りをできるだけ一旦絶ち切りたいので、あえて当分聴かずにおきます(爆)。これ以上CDは増やしたくない状況は続いていますし・・・。
私が今朝、朝比奈先生の対抗盤にぶつけたいのは、先ごろ(7月14日)、イギリスのロンドンで84歳で死去した、チャールズ・マッケラスによるモーツァルトです。レヴィン版のレクイエムの名演のSACDは、以前にご紹介しましたので、本日は交響曲を・・・・
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2671689
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3764303
よくご存じのように、私はピリオド奏法を用いる演奏家に批判的ですが、マッケラスだけは例外でした。それは、ピリオド全盛時代以前から、彼がヤナーチェク他様々な幅広いレパートリーで追い求めた音楽の光と翳というか真の深淵さが、しっかりと指揮に反映されていたからだと思います。彼のモーツァルトの実演、一度でいいから接してみたかったです。ご紹介しました上記交響曲及びレヴィン版「レクイエム」のSACDは、ピリオド奏法のモーツァルトでの、数少ない私のお薦め盤です。
一昨日は映画「トイ・ストーリー3」(3D 日本語吹替版)を家族全員で観にいきました。一瞬も無駄や弛緩がなく退屈させない、しかも笑わせながらも人生誰もが経験する出会いの嬉しさと別れの寂しさを感じさせる、この種の娯楽作ではあまり経験のないほど深い103分間で、末代まで残る大傑作だと思いました。どちらかと言うとディズニー嫌いな私も、このシリーズだけは別格です。
こういう、真に「一瞬も無駄や弛緩がなく退屈させることなくて、しかも内容が深い」という条件に当て嵌まるのは、時代の荒波を乗り越えたクラシック音楽作品の分野でも稀有だと思います。ショパンの「12の練習曲Op.25」などは、その厳しい要件下での、数少ない該当作だと個人的には思えます(大多数のショパン作品は、弛緩しているか、内容の浅い部分がどこかにあると、私には感じる)。大抵の大作曲家の、傑作、大作は、どこかの部分で緊張の糸が緩んでいるものです(そういう場所で、初心者は決まって寝る)。
では、モーツァルトの後期の交響曲ではどうか? 39番や41番「ジュピター」は、おそらく1音も無駄がありません。ただ、リピートを全部履行した場合も本当にそうなのでしょうか? その疑念だけは、上記マッケラスの名演でも私の心から消えることはありませんでした。楽譜の指示に忠誠を誓った朝比奈先生も、もっともっとモーツァルトを数多く指揮しておられたら、リピートを全部履行されるようになったのでしょうか?、それを、先生にお聞きしたかったです。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
マッケラス、亡くなっちゃいましたね。残念です。ここのところ追悼の意味も込めてヤナーチェクのいくつかのオペラを聴いておりましたが、素晴らしいですね。
彼のモーツァルト演奏、巷では結構評判を呼んでいたような記憶がありますが、残念ながら未聴です。とはいえ、「ピリオド全盛時代以前から、彼がヤナーチェク他様々な幅広いレパートリーで追い求めた音楽の光と翳というか真の深淵さが、しっかりと指揮に反映されていた」という意味はよくわかる気がします。おっしゃるように僕も一度でいいから彼のモーツァルトの実演に触れてみたかったです。
>映画「トイ・ストーリー3」
>真に「一瞬も無駄や弛緩がなく退屈させることなくて、しかも内容が深い」という条件に当て嵌まる
そうですか、そんなに良いですか!
僕はご存じのように映画については疎いので、そういう映画があることは知っておりましたが、観たこともなく、内容も全く知らず、です。
>ショパンの「12の練習曲Op.25」などは、その厳しい要件下での、数少ない該当作だと個人的には思えます
なるほど、そうかもですね。ただし、僕は後期の「幻想ポロネーズ」や「バラード第4番」などもそれに該当するように思いますが(晩年のマズルカも)。
>リピートを全部履行した場合も本当にそうなのでしょうか? その疑念だけは、上記マッケラスの名演でも私の心から消えることはありませんでした。
これについては雅之さんと同意見です。リピートの履行はやっぱり煩わしいですよね。興醒めです。
朝比奈先生はやっぱり忠実に履行したでしょうね・・・。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む