ファゾリス指揮イ・バロッキスティのステッファーニ スターバト・マーテルほか(2013録音)を聴いて思ふ

いつの時代も人は心の静寂を求めてきた。
現代の喧騒の中にあって僕たちはいかに静けさを保つのか。

悲しみの母は立っていた
十字架の傍らに、涙にくれ
御子が架けられているその間

御子の磔刑を前に、果たして聖母は悲しんだのか。
(13世紀のヤーコポーネ・ダ・トーディ作とされる)カトリック聖歌においてはあくまで憂える母を描く詩だが、母の心中はむしろ喜びに満ちていたのではないのか。そこには、人々のあらゆる罪を無理なく受け入れ背負った我が子への、(絶望より)底知れぬ愛と希望というものがあるように僕には思えてならない。

後世の作曲家の多くが、その詩に触発された。
そうして創造された音楽は大抵、静かで哀感満ちるものだ。

バッハやヘンデルとほぼ同時代を生きたアゴスティーノ・ステッファーニの「スターバト・マーテル」は、ヴェネツィア生まれの作曲家だけあり、全編明朗な印象を湛え、しかも若くしてドイツはミュンヘンに奉公(?)に出たからか、独墺的憂愁すら秘める陰陽のバランス取れた美しい作品である。

ステッファーニ:
・スターバト・マーテル
・ベアトゥス・ヴィル(世界初録音)
・ノン・プリュ・メ・リガーテ(世界初録音)
・トリドゥアナス・ア・ドミノ(世界初録音)
・ラウダーテ・プエリ(世界初録音)
・スペラーテ・インデ・デオ(世界初録音)
・クィ・ディリギット・マリアム(世界初録音)
チェチーリア・バルトリ(メゾソプラノ)
ヌリア・リアル(ソプラノ)
イェツァベル・アリアス・フェルナンデス(ソプラノ)
エレーナ・カルツァニーガ(アルト)
フランコ・ファジョーリ(カウンターテナー)
ダニエル・ベーレ(テノール)
ユリアン・プレガルディエン(テノール)
サルヴォ・ヴィターレ(バス)
スイス・イタリア語放送合唱団
ディエゴ・ファゾリス指揮イ・バロッキスティ(2013.1-4録音)

バルトリによる第1曲「悲しみの母は立っていた」の清澄で透明な歌の素晴らしさ。また、第2曲合唱をはさんで、バルトリ、ファジョーリ&ベーレによる三重唱の美しさ。
音楽には極めて力がある。
ただひたすらにこの音の洪水に身を任せておけば、自ずと心は平静にあるのではないか。楽曲の進行とともに、ますます透明さを獲得する魔法。ヴィターレの独唱による第5曲「愛しい御子が」の深み、あるいは、バルトリ、ファジョーリと合唱による第6曲「さあ、御母よ、愛の泉よ」における見事な調和。極めつけは、第10曲「どうかその傷を私に負わせてください」での合唱の崇高さ。
どこをどう切り取っても聖職者アゴスティーノ・ステッファーニの信仰心の投影された音楽に僕たちは癒される。

われわれは日常生活のなかであくせくと生きているが、心の眼を澄ますと、こうした花盛りのなかにいるのが見えてくる。実は、この世にいるだけで、われわれは美しいもの、香しいものに恵まれているのだ。何一つそこに付け加えるものはない。すべては満たされている―そう思うと、急に、時計の音がゆっくり聞こえてくる。万事がゆったりと動きはじめる。何か幸せな充実感が心の奥のほうから湧き上がってくる。
辻邦生「生きて愛するために」(メタローグ)P76

 

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