何という愉悦!
とても病気で悩んでいるとは思えぬイ長調ソナタ第1楽章アレグロの解放感と楽観。
そして、第2楽章アンダンテ・モルト・エスプレッシーヴォの慈しみと安寧。ここには若きベートーヴェンの大いなる転換がある。あるいは、その時期に彼が密かに自殺を考えたとは思えない第3楽章アレグレット・コン・ヴァリアツィオーニの明るさ。すべてが計算された茶番だったのではないかと思わせるくらい。
過渡期というのは実に興味深い。それまでのものと新しいものとが混在する不思議。
進化、深化する過程であることを知り、不要なものを捨て去ることを怖れない。あるいは、誰もやったことのない試みに(たとえ一般常識を超えたとしても)挑戦する姿勢。すべてが流れ、変転の中にあることを思う。嗚呼、無常。
何という苦悩!
ハ短調ソナタは間違いなくこの時期のベートーヴェンの傑作のひとつだ。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオには、1800年に作曲されたハ短調の四重奏曲が木魂する。やはりこの調性はベートーヴェンにとって特別なんだ。素晴らしい決意!
僕の作品は多くの収入をもたらしてくれる。また、手に負えないほど多くの作曲依頼を受けているし、どの作品でも6,7社に出版を依頼することもできる。
(1802年6月29日付、ヴェーゲラー宛手紙)
~平野昭著「作曲家◎人と作品シリーズ ベートーヴェン」(音楽之友社)P61
また、第2楽章アダージョ・カンタービレにまつわる不安の音色と哀感の響き。
あの嫉妬深い悪魔、僕の惨めな健康が生き方を邪魔してきた。この3年ほどで僕の聴覚はほとんど衰えている。君も知っているように、すでに当時から惨めな状態であった下腹部に原因があるのだと思うけど、ウィーンに来てからさらに悪化していつも下痢に悩まされている。
(同上手紙)
~同上書P61
天国と地獄の両方を一度に体験するかのよう。
そして、第3楽章スケルツォは激烈で、対照的にのどかなトリオとの対比が見事。
何より重厚な終楽章アレグロの内燃するパッションにベートーヴェンの未来への希望を思う。それにしてもクレーメルとアルゲリッチのコンビのこの頃の息の合い方は並みでない。ヴァイオリンとピアノが完全にひとつになってベートーヴェンの心の内を赤裸々に語るよう。
ベートーヴェン:
・ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品30-1
・ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
・ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(1993.12録音)
何という希望!
結局生き抜くことを選択するベートーヴェンには最初から積極的なものしかなかったのだ。
ト長調ソナタ第1楽章アレグロ・アッサイの前進性。また、第2楽章テンポ・ディ・メヌエット・マ・モルト・モデラート・エ・グラツィオーソの憂いを帯びた歌謡的旋律に心躍る。終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェは、何と活動的なのだろう!ここに僕は、後の「ハイリゲンシュタットの遺書」の意思表明にも通じる挑戦を思う。
死よ、望むときにくるがよい、私はお前に勇敢に立ち向かうだろう。
~同上書P65
これほどに阿吽の呼吸で音楽を縦横無尽に渡る演奏は他にあるまい。このコンビの復活はもはやないのだろうか?
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アルゲリッチをよく採り上げていらっしゃいますが、彼女は今まさに別府に滞在されているんですよね。
http://www.argerich-mf.jp/
http://www.argerich-mf.jp/program.shtml
私は、5月8日のイヴリー・ギトリスとのフランク:ヴァイオリン・ソナタ を心底聴いてみたいなと思いました(行けないですけど)。中々余震が治まってくれぬこの時期の大分での演奏だからこそ、大きな意味を持ちそうですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9
>雅之様
すっかり失念しておりましたが、今日からアルゲリッチ音楽祭なんですね。
第1回目には僕も別府まで聴きに行きました。
あの時の記憶は音楽はもちろんのことその土地で観たものも含めて風化しません。
そして今まさに、ですね。
おっしゃるように大いに意味のある音楽祭になることと思います。