ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ響のシベリウス「ポホヨラの娘」(1985.8録音)ほかを聴いて思ふ

1999年夏。僕は仲間とフィンランドからロシアはサンクト・ペテルブルクへの旅を楽しむ予定だった。そして、ヘルシンキではパーヴォ・ベルグルンドやレイフ・セーゲルスタムの指揮によるシベリウスを聴くことになっていた。しかし、残念ながら諸般の事情により旅行の計画が流れた。

ジャン・シベリウスは、父クリスティアンがそうだったように、自身も深酒と煙草依存に悩まされた。何にせよ依存症というのはそう簡単には止められないらしい。精神的ストレスがかかればついそこにはまってしまうのだと。
シベリウスの場合も、創造のスランプの際、同様のことが頻繁に起こり、都度妻アイノは苦労を強いられたようだが、しかしその負の要素が、彼の革新的作品を世に送り出しているならば、彼女にとっては受け入れざるを得ない必要悪であったのだろうと思う。

交響的幻想曲「ポホヨラの娘」を聴いた。
いかにも民族色豊かな雄渾な響きと(北欧的)繊細で美しい旋律の宝庫。
この作品は、当時、政治的緊張の中にあったロシア帝国はサンクト・ペテルブルクにおいて作曲者自身の指揮により初演されている。庇護者であったアクセル・カルペランの心配を余所に、コンサートは大成功だったらしい。

実際、列車でロシアの首都に向かった《フィンランディア》の作曲者は、ペテルブルクの聴衆から盛大な歓迎を受けている。マリインスキー劇場における12月29日のコンサートは、ベルギーの作曲家ウジェーヌ・イザイとプログラムを分け合う形で行われ、シベリウスは《レンミンカイネンの帰郷》と《ポヒョラの娘》を指揮して大成功を収めた。上記の2曲を耳にしたペテルブルクの聴衆はシベリウスの真価を認め、形式的側面に対する自由な発想と斬新なアプローチ、色彩的なオーケストレーションを高く評価する。
神部智著「作曲家◎人と作品シリーズ シベリウス」(音楽之友社)P123-124

刻々と国際的名声を高めてゆくシベリウスにあって、潜在する目に見えない不安こそ創造力の源だったのだろうが、一方で、彼の心身を蝕んでいったことは事実。この交響詩にもどこか暗い影が感じとれるのは、(それがシベリウスの魅力であるのだが)頻発する精神的不安定によるからか。

続いて、組曲「恋する者」。
弦楽合奏による、いかにもシベリウス的な清澄な調べに言葉がない。ネーメ・ヤルヴィの想いのこもった指揮は、作曲家の内なる温かさを表現するかの如し。

シベリウス:
・交響的幻想曲「ポホヨラの娘」作品49(1985.8.22&23録音)
・組曲「恋する者」作品14(1985.2.6録音)
―第1曲「恋する者」
―第2曲「愛する人の通る道」
―第3曲「こんばんは・・・さようなら」
・交響詩「タピオラ」作品112(1985.8.22&23録音)
・弦楽オーケストラのための即興曲「アンダンテ・リリコ」(1985.5.10録音)
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団

一層素晴らしいのは、深淵なる「タピオラ」!!

大きく拡るようにそれらは立つ、北国の夕闇の森は、
古代の、神秘的で、野生の夢をはぐくむ、
それらの中に森の力強い神が住む、
そして暗がりの中に、森の魂が魔法の秘密を織る。
マッティ・フットゥネン著/舘野泉日本語版監修/菅野浩和訳「シベリウス―写真でたとる生涯」(音楽之友社)P76

冒頭「森の主題」から何と有機的な響きを醸すのだろう。やがてフルートを中心に、木管によって奏される「タピオの主題」の神秘!まるで八百万の神を示し申す、大自然と融和したシベリウスの魔法!!特に、後半の、爆発的音響の後に弦楽器で奏される「タピオの主題」の変形から生ずるクライマックスのエネルギーは、時を止め、空間を歪めるほどのパワーを秘める。
「タピオラ」は、太古から今に至る時間の凝縮された一大傑作。

最後は原曲ピアノ版を弦楽合奏用に編曲した「アンダンテ・リリコ」。
仄暗く哀しくも暖かな印象を持つこの作品は、強面シベリウスの抒情的側面を表わす佳作。

 

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