アルゲリッチの弾くリストのロ短調ソナタを聴いて思ふ

ただ目的もない騒音にすぎない。健全な着想などどこにも見られないし、すべてが混乱していて明確な和声進行はひとつとして見出せない。そうはいっても、彼にその作品のお礼を言わないわけにはいかない。それはまったく大儀なことだ。

かのクララ・シューマンをしてこう言わしめたソナタ。
ロベルト・シューマンに献呈され、現代では演奏しないピアニストなどいない人気作、名作として数えられるが、作曲された1850年代当時(1853年作曲、1857年ハンス・フォン・ビューローによって初演)は20世紀のシャンゼリゼ劇場での「春の祭典」のスキャンダルにも優るとも劣らない賛否両論が繰り広げられたのだと。

後にワーグナーは絶賛する。「美しく、偉大で、・・・真面目で気高く、荘厳」と。
僕は思う。ベルリオーズの「固定楽想」に倣って主題が様々に形を変容しつつも常に木魂する様が、あるひとりの人間の人生を表すようで、あるいは森羅万象すべてにつながる宇宙の代名詞のようで、あまりにリスト的な華麗さが俗っぽい雰囲気を醸し出すも、やはり崇高で聖なるものからのインスピレーションにより生み出されたものに違いないと。

冒頭、レント・アッサイに続くアレグロ・エネルギコで奏される、あの暗く重い主題・・・。あの主題が地鳴りのように響くたびに戦慄を覚える。リストにとって「生きるとは」これほどまでに重労働で困難なことだったのか?喜びあり、哀しみあり、安寧あり・・・、人生には様々な状況があるが、どんな時にもこの「重い主題」は時にちらりと時に真正面から顔を出す。晩年のリストは毎日コニャックを1,2本とワインを2,3本、さらにアブサンという質が悪く強い酒を常用していたというから精神的圧迫というのは生来相当なものだったということだ。何だかんだ言っても若い頃から心身ともに無理をしていたということ。そのことが逆に彼の内に信仰心を目覚めさせた要因の一つであることは間違いない(もちろん愛する子どもを続けざまに亡くした悲しみもあろうが)。

・リスト:ピアノ・ソナタロ短調
・シューマン:ピアノ・ソナタ第2番ト短調作品22
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(1968.2録音)

何と45年前のレコーディング!!しかし、決して古びない。どころか、これを凌駕する演奏があるのか?少なくとも僕は聴いたことがない。若きアルゲリッチの指は猛烈に回転する。何というスピード!!それでいて地に足の着いた重厚な響きが失われず、何と安定した音楽が再現されることか。
シューマンのソナタも驚愕!一般的な演奏の4分の3ほどのスピードで駆け抜けるこの演奏を初めて聴いた時何の曲だかわからなかったくらい。アルゲリッチのこの演奏を聴くと他がすべて物足りなくなるから困る。

 


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