地の底から(マグマが)噴き出すような強烈なエネルギー。
時空を超えて蘇るジャン・シベリウスの魂。
時に凄まじい嫉妬や敵対心を抱きながらも、彼が天才の作品を世に問い続けた功績は偉大だ。
残された交響曲の録音を聴いて、古びた録音からも、民族的な意味での自負や作品の本質を知るのは自分であり、他の誰も真似することなどできないとでも言わんばかりのエゴイスティックな力が垣間見える。特に、交響曲第1番における壮絶な音楽は、この人の指揮を措いて右に出る者はいないのではないかと思わせるほどのパワーが漲る。
ロベルト・カヤヌス(1856-1933)。
第2楽章アンダンテ(マ・ノン・トロッポ・レント)の憂愁。後半の急激な勢いでうねり、クライマックスを築くシーンと、直後の静寂の音の対比が素晴らしい。また、第3楽章スケルツォの生気溢れる主部と柔和なトリオの移ろいの絶妙さに、カヤヌスがこの音楽に心底共感していることがよくわかる。そして、速めのテンポで颯爽と紡がれる、有無を言わせぬ終楽章の外面的躍動と内省の深さに驚嘆。一世一代の名演奏。
シベリウス:
・交響曲第1番ホ短調作品39(1930.5.21-23録音)
・交響曲第2番ニ長調作品43(1930.5.27&28録音)
ロベルト・カヤヌス指揮ロイヤル・フィルハーモニック・ソサエティ管弦楽団
一方、地の底を這うようにギリギリまで抑圧されたエネルギーを、時間をかけて放出していく交響曲第2番は、精神的鬱積が投影された第1楽章アレグレットが、いかにもアルコール中毒に苦しんでいたシベリウスの心情を表出し、劇的で素晴らしい。続く、第2楽章テンポ・アンダンテ,マ・ルバートの、神韻縹緲たる魔性に心震え、解放直前の蠢きを示すような第3楽章ヴィヴァーチシモの胎動からアタッカで移行する終楽章アレグロ・モデラートの光射す堂々たる演奏に興奮する。
シベリウスとカヤヌスとには、1896年のヘルシンキ音楽院での教授職ポストにまつわる確執が長い間あったが、そんなことすら忘れてしまうような、何という深い愛情。
シベリウスに勝算があったかどうかは分からない。しかし他の応募者、カヤヌスとイルマリ・クローン(1867-1960)の2名は、いずれも手強い相手だった。そして紆余曲折を経た選考結果は、フィンランド音楽界を揺るがす一大スキャンダルへと発展することになる。音楽学者として少しずつ頭角を現してきた朴訥なクローンはともかく、この名誉あるポストをどうしても手に入れたかったカヤヌスの画策が、事態を思わぬ方向に導いていくのである。選考結果は当初、圧倒的な票差でシベリウスに決定する見込みだった(評議員による投票はシベリウス25票、カヤヌス3票、クローン0票)。ところがそれに猛烈な不満を抱いたカヤヌスが、シベリウスに対する大々的なネガティヴ・キャンペーンを行う。さらにヘルシンキ大学学長のヴォルデマール・フォン・ダーエンに取り入って、同結果を強引に翻してしまう暴挙に出たのである。
~神部智著「作曲家◎人と作品シリーズ シベリウス」(音楽之友社)P72
カヤヌスのこの、性格のねちっこさは、こと音楽を演奏するとき、途轍もないパワーを生み出す源であることがこういうところからもわかる。あまりの自己中心性から生ずるナルシシズムが、抑圧されたシベリウスの音楽にうねりを付加するのだろうと思う。
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