自分宛覚書

police_reggatta_de_blanc.jpg暑い、とにかく暑い。新宿御苑までの往復40分で身体はくたくた。この暑さいつまで続くのだろうか・・・。

いつもお世話になっている先生から今年のはじめに、2010年のテーマが『本格的な新・チェンジ・軽やかに・そして霊性と物質性の統合』であること、『今まで着々と準備してきたものがやっと見えるように本番がやってくる』から『さらに純粋、素直、正直に、神聖、そして軽やかに』に動けというメールをいただいていたことを思い出した。「なるほど」と思う反面、特に「霊性と物質性の統合」という点についてはわかったような、いまひとつわからないような、何とも曖昧な感じで、気持ちが悪かった。

周囲ではいろいろな新しいことが起き始めている。意図せず始めたエルーデ*サロンは思わぬ方向に動き出しているし、一方近場ではスピリチュアル的な新しい動きもある。自分がどのようなスタンスで何を軸に動けばいいのか、正直長い間よくわからないでいた。「架け橋にならなければいけない」、そういう意識だけが強く残っていた。その意味がやっと少しずつわかってきた(ような気がする)。

結局、何か、あるいは誰かに頼るのではなく、自分自身が自分の居場所を作ることが必要だという当たり前のことに行き着いた。スピリチュアルに走ってもダメ、そして頑なな物質主義的でもダメ。「霊性と物質性の統合」、現実的な観点で人をサポートする仕組みを作り、結果的に霊性をも救うという仕事。これこそまさに陰陽のバランスに通じ、ゼロ磁場に通じる生き方ではないのか。

相変わらずトリオが恋しい。

The Police:Reggatta De Blanc

スティング率いるザ・ポリスの音楽を初めて聴いたのは1983年。最期のアルバム「シンクロニシティ」がバカ売れし始めていた頃。よってそれ以前のアルバムはすべてオン・タイムで聴いたのではない。同時期にのめり込んで聴いていた人たちが正直羨ましい。1980年の伝説の日本公演を聴けた人たちが羨ましい。

あっという間にポリスは空中分解し、以降はそれぞれがソロ活動に専念し、2年ほど前に再結成ツアーを敢行するもアルバムどころか1曲の新曲もリリースせず、完全引退を宣言した。潔し。当然彼ら3人の力量は同等だ。わずか6年ほどしかもたなかったことも頷ける。「ピアノ三重奏曲は、演奏者にとって『求心力より遠心力が働く』」というのは雅之さんの言葉だが、ピアノ三重奏に限らず、トリオという編成ならどんなものでもそうなのかもしれない。The Policeのセカンド・.アルバムを聴きながらそんなことを考えた。

「孤独なメッセージ」
無人島に流れついて、ひとりきり
いつまで待っても、自分しかいない
耐えることのできないくらいの寂しさ
絶望してしまう前に、誰か助けてほしい
ぼくはSOSを世界に流そう
誰か拾ってくれないか
1本の瓶に入ったメッセージを

その手紙を書いてから1年が経った
でも、最初からわかっているべきだった
希望だけがぼくを癒してくれること
愛だけが君の人生を立て直すこと
ただし、愛は君の心を傷つけることもあるけれど

今朝、海岸に出ると、信じられないものが目に入った
1,000億本もの瓶が海岸に流れ着いている
どうやらぼくは孤独でありながら孤独ではないらしい
1,000億人のひとりぼっちが居場所をさがしている
ぼくはSOSを世界に流そう
誰か拾ってくれないか
1本の瓶に入ったメッセージを


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。
スピリチュアルに私が懐疑的なのは、例えば死生観ひとつにしたって、50億人の人間がいれば、50億通りの考え方があり(各人の音楽の好みと一緒!)、そのひとつひとつの理屈は、人類共通の真理でも何でもないだろうと、それを語る他人を見てつい感じてしまうからなんです。神秘体験は、ドラッグでトリップするのや催眠術にかけられるのとそう変わらんだろう、「どちらも人間が脳内で勝手に作りだした幻想さ」と言いたくもなります。
ただし、この世は科学では解明できないことばかり、これは紛れもない事実でしょう。
それと、現実にスピリチュアルで「信じるものは救われる」人が数多くおられることも事実です。まさに宗教としての大きな役目を担っているのでしょう。
どうせ宗教なら、既に歴史の荒波に揉まれてメジャーになってカルトや霊感商法の危険が少くなった仏教や神道やキリスト教を、多角的に、かつ哲学的に研究したいというのが私個人の偽らざる心境です、・・・という野暮な考え方は、これを機に改めるよう努力します(てなこと言って、今朝もしっかり主張しとるやないけ!!・・・爆)。
ザ・ポリスの全盛期も短かったですね。
>潔し。
同感です。「孤独なメッセージ」、いい歌です。懐かしいです。そして訳詞を読んでみると、なお共感しました。
>どうやらぼくは孤独でありながら孤独ではないらしい
1,000億人のひとりぼっちが居場所をさがしている
同感です(笑)。
今朝のコメント書いていて思い浮んだのは、またもやサザンオールスターズ
「愛の言霊~Spiritual Massage~」(作詞・作曲:桑田佳祐)
http://www.youtube.com/watch?v=Ot8LFDcYW70
(歌詞)
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=9141
・・・・・・遥か以前から光輝く星を見つめる時、涙ぐんでしまう
人間の存在、肉体、それらは、宇宙からの言霊を記憶するのだ
生まれく叙情詩(セリフ)とは 蒼き星の挿話
夏の旋律(しらべ)とは 愛の言霊(ことだま)
禮(らい)
幾千億年前の星の光が 人の世の運命(さだめ)を僕に告げるの
過去に多くの人が 愚かな者が 幾千億年前の星の光見て
戦をしたり 罪犯したなら ぼくもまたそれを繰り返すのか
今は滅びた星の光なのに 見つめるままに 夢に見るたびに
涙ぐむのはなぜなのか そして僕はどこから来たのか
この魂は誰のものなのか Yeah, Yeah, Yeah

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちわ。
暑いですね、今日も。
>どうせ宗教なら、既に歴史の荒波に揉まれてメジャーになってカルトや霊感商法の危険が少くなった仏教や神道やキリスト教を、多角的に、かつ哲学的に研究したいというのが私個人の偽らざる心境です
お気持ちよくわかります。特に五大宗教と言われているもの(キリスト教、仏教、イスラム教、道教、儒教)や神道などは大いに研究する価値あるものだと僕も思います。
>これを機に改めるよう努力します
いえいえ、いつもどおりでいてください。それが雅之さんです。
桑田さんもよくわかってますよね、いろいろなことが。
病気を克服してこれからも一線で活躍してほしいです。

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » 「クリーム」という世界について感じてみた

[…] 三位一体という言葉があるように、音楽でも三重奏というのはすごく安定感があり(音楽の場合、3人だと音の厚みに乏しいような気もするが、それが意外にそうでもない)、調和が感じられる。ましてや、一人一人の奏者が「我ここにあり」とばかりに丁々発止と攻め立てると余計に場のエネルギーが凝縮し、拡散する。音楽の力というものを感じる瞬間だ。とはいえ、ひとりひとりの「我」が正面から拮抗するわけだから非常に壊れやすいという難点もある(しかし、そこがまた聴いていて面白いところ)。 クラシック音楽でもトリオというのは名曲が多い。もちろんそれは演奏者の力量によるところが大きい。ゆえに名演にも凡演にもどちらにも転ぶ可能性が常について回る。それはジャズやロックでも同じだろう。ビル・エヴァンスのファースト・トリオなんていうのは不世出のグループだけれど、スコット・ラファロがもう少し長生きしていたら、意外につまらない演奏をやってのけたかもしれない、とふと考えることがある。ロック音楽でも、例えばエマーソン・レイク&パーマーあたりは「ワークス」以降というのはどうにも求心力が低くなって面白味に欠ける。それでもポリスのアンサンブルに一部の隙もなかったのは驚異・・・。 […]

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