とても個人的な作品だけれど、参加してくれるか?

自身のプライベートな問題をたとえ小説という形であれ、表に出してゆくというのは相当勇気のいる行為だろう。いわゆる個人的な体験を書き綴った私小説を毛嫌いした評論家というのは大勢いるが、純文学だろうとどんなものだろうと、軸がぶれずに内容に一貫性があるならば一切問題なしだと僕は考える。書く側が書きたいように書いて、あとはそれが大衆に受け容れられるか否かだけ。
とはいえ書き手側は決して悲劇のヒーローぶって書き下ろさないこと、それが大事な点。

時に自意識過剰気味に自らを「悲劇のヒーロー」に仕立て上げる人々がいる。おそらく無意識だろうが、人間誰にだって喜劇も悲劇もつきものゆえ、自分だけがそういう悲惨な状況なんだと思ってほしくはない。辛いときは辛いと堂々と露わにし、嬉しいときは嬉しいと素直に表現できる、当たり前だけれどそういう直接的なコミュニケーションができる人間が僕は素敵だと思う。

しかしながら、個人的にはそういう「ひねくれた」タイプの人も決して嫌いじゃない。むしろ好きかも(笑)。いや、好きというのは少々語弊がある。正直、昔はそういう人を受け容れられなかった。なぜか?そう、自分がそういうタイプだったから。目の前に起こることが自身の投影(=鏡)だとするなら、ありのままの自己を知らなかったとき、あるいは受け容れていなかった頃はそういうものを否定した。けれども、今は違う。あっさりと観念して、そういう人までをも受け容れる体勢がどうやらできつつある(偉そうだけど)。

Pink Floyd:The Final Cut
-a requiem for the post war dream by roger waters-

このアルバム、長いこと受け容れられなかった。なぜピンク・フロイドの器を借りてまでロジャーが極めて個人的なことを発表せねばならなかったのか?そこに憤りのようなものも感じていた。”The Wall”もこのアルバムもロジャーがソロで出せば良かったのだ。そんな風にずっと思っていた。自分の弱さを認めようとせず、バンドのほかのメンバーと戦ってまでもこういうジメジメしたおよそフロイドらしからぬ作品を出す価値がどこにあったのか?

今になって思うこと。
ロジャーには盟友である2人の協力がどうしても必要だったのだ。その時既に脱退していたRick Wrightがクレジットされていないことは仕方がないにしても。
それは時折出てくるGilmourのギター・ソロを聴けばわかる。気のせいか泣きのギターが泣かないようにも聴こえるが(例えばタイトル・ソング。Gilmourの無意識の反発か?)、GilmourとMasonが揃ってPink Floydとして正式に表に出すことが重要だったということだ(Rogerにとってそれほどに重要な作品だった)。

And if I show you my dark side(もし僕が暗い過去を見せたなら)
Will you still hold me tonight(君は今夜も優しく抱いてくれるかい?)
And if I open my heart to you(もし僕が心を打ち明けて)
And show you my weak side(弱い一面を見せたなら)
What would you do(君はどうするだろう?)
Would you sell your story to rolling stone(その話を「ローリング・ストーン誌」にでも売り込むかい?)

Rogerは”The Final Cut”を録音するにあたり、他のメンバーに聞いたという。
「とても個人的な作品だけれど、参加してくれるか?」と。参った。涙が出た。

諸君、そういう事実を知ってもう一度このアルバムを頭から聴きたまえ。傑作だということがわかると思うよ。


3 COMMENTS

雅之

こんばんは。

>自身のプライベートな問題をたとえ小説という形であれ、表に出してゆくというのは相当勇気のいる行為だろう。

・・・・・・西村賢太氏の「苦役列車」は、これはまた体臭の濃すぎる作品だが、この作者の「どうせ俺は──」といった開き直りは、手先の器用さを超えた人間のあるジェニュインなるものを感じさせてくれる。
 
 超底辺の若者の風俗といえばそれきりだが、それにまみえきった人間の存在は奇妙な光を感じさせる。

 日本文学の特性の一つは私小説の伝統にあるが、かって上林暁や尾崎一雄が描いた一種の自己露呈に依る人間の真実性の伝統に繋がる、いやむしろ破壊的な自分をさらに追いこみ追いこみ破滅した田中英光の無残さにも通う、しかしこの作家はどっこい生き続けるだろうが、近年珍しい作家の登場と思われる。
(中略)
 この豊穣な甘えた時代にあって、彼の反逆的な一種のピカレスクは極めて新鮮である。昔、深沢七郎に次いで中央公論の文学賞を受けた池田得太郎の「家畜小屋」という作品を褒めた誰かが、「色の黒いの七難隠す」といっていたが、この作家の特性もそれに繋がるものと思う。(「文藝春秋2011年3月号」371頁 芥川賞選評 石原慎太郎「現代のピカレスク」より)

「苦役列車」 西村 賢太 (著)  (新潮文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E8%8B%A6%E5%BD%B9%E5%88%97%E8%BB%8A-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%A5%BF%E6%9D%91-%E8%B3%A2%E5%A4%AA/dp/4101312842/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1339334257&sr=1-2

Pink Floyd:The Final Cut
-a requiem for the post war dream by roger waters-
のジャケットも黒っぽいので、
「色の黒いの七難隠す」のかなあ。

おしまい。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
それにしても雅之さんのコメントはドラえもんの四次元ポケットのようですね。
ご紹介の「苦役列車」は未読ですが、慎太郎氏の選評が気になります。

>Pink Floyd:The Final Cut
-a requiem for the post war dream by roger waters-
のジャケットも黒っぽいので、
「色の黒いの七難隠す」のかなあ。

お見事!!

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » やけにポジティブなピンク・フロイド!

[…] ウォーターズ抜きでフロイドが再結成してアルバムを出すというニュースを聞いて卒倒した。あり得ない。その音をほんの少しだけ聴いてあまりの能天気さに呆れた。あくまで当時。それから数年が経過し、彼らが”The Dark Side Of The Moon”をステージで再現したビデオを観てほんの少し考えを改めた。いや、ちょっとばかし後悔した。冒頭の”Shine On You Crazy Diamond”にも涙が出た。 リック・ライトが鬼籍に入った今となってはどんな形であろうともはやフロイドの生は観ることはできまい(いや、”The Final Cut”の時にリックはロジャーにクビにされているのだから彼がいなくてもピンク・フロイドになるのかな・・・笑)。いずれにせよ、無念、である。 […]

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