シュトゥッツマン&オピッツ ヴァーンフリート・コンサート(1993録音)を聴いて思ふ

何て悲しいアルバムなのだろう。ゲルハルト・オピッツの演奏もさることながら、まるでリヒャルト・ワーグナーの亡霊が乗り移るかのような沈鬱な印象を与える(ワーグナーが実際に使っていたという)スタインウェイの音色。また、ナタリー・シュトゥッツマンの低く、憂えるコントラルトの熱唱が心に刺さる。

ヴァーンフリート荘で録音されたワーグナーとリストの作品を聴きながら、1872年のとある日の、ワーグナー家の人々の団欒を思った。

午前中、すてきな宮廷園丁館に父を訪ねる。父と、リヒャルトと、一時に昼食。それからは残念なことに人が大勢出てきた。・・・中略・・・世間から引きこもって暮らしているわたしたちには目のまわるような一日。すばらしかったのは、父がわたしのために〈静まり返った炉辺でAm stillen Herd〉と〈イゾルデの愛の死〉を弾いてくれたこと。父の心が疲れていることにひどく胸が痛む。その夜、父はほとんど口をきかず、わたしは思いつく限りの話題を取り上げてしゃべった。リヒャルトはリヒャルトで座を明るく保とうと、ローエン男爵を相手に、巷間言われている自分(リヒャルト)の人気について戯れ半分に論争したりしたが、その間にも、わたしの脳裏には父の悲劇的な人生が幻影のように浮かんできた。
(1872年9月3日火曜日)
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記3」(東海大学出版会)P357

コジマの筆は重く、憂鬱な印象が拭えない。そのとき、フランツ・リストが弾いた2曲は、どれほど素晴らしかったことだろう。

ワーグナーの作品には、たとえそれが小品であっても、空ろな色香が存在する。幻なのか現なのか、あちらとこちらを自由に往来する魔法。一方、リストの作品には、現実的な悲しみのみが投影される。

ワーグナー:
・M.W.(マティルデ・ヴェーゼンドンク)夫人のアルバムのためのソナタ変イ長調WWV.85(1853)
・ベティー・ショット夫人のためのアルバムの一葉変ホ長調WWV.108(1875)
・アルバムの一葉「黒鳥館に到着して」変イ長調WWV.95(1861)
ワーグナー:5つの歌曲
・愛らしい人よWWV.57(ロンサール詩)(1839)
・期待WWV.55(ユゴー詩)(1839)
・すべてははかない幻影WWV.58(ルブール詩)(1839)
・二人の擲弾兵WWV.60(ハイネ/ルーヴ=ヴェマル仏訳)(1839)
・温室にて~ヴェーゼンドンク歌曲集WWV.91A(ヴァーゼンドンク詩)(1858)
リスト:
・R.W.(リヒャルト・ワーグナー)—ヴェネツィアS.201(1883)
・リヒャルト・ワーグナーの墓にS.202(1883)
・聖杯グラールへの礼拝の行進S.450~舞台神聖祭典劇「パルジファル」(1882)
・イゾルデの愛の死S.447~楽劇「トリスタンとイゾルデ」(1867)
ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)
ゲルハルト・オピッツ(ピアノ)(1993.3.30-4.3録音)

単色の、悲しみ満ちる歌。リヒャルトの訃報に接して作曲された「ヴェネツィア」にも、3ヶ月後の彼の70歳の誕生日を記念して作られた「ワーグナーの墓に」にも、リストの若き日の煌びやかな、超絶技巧を披歴するような音調は見られない。「礼拝の行進」は極めて厳かに奏されるもクライマックスは劇的な力を秘め、力強く締められる。そして、「イゾルデの愛の死」の、雄渾な響きと内なる慈愛。オピッツは音楽に心底共感しているようだ。

ワーグナーの、ヴェーゼンドンク夫人への想いが刻まれる単一楽章のソナタの激しさ、美しさ。一方、ベティー・ショット夫人のための一葉の、軽快さ、明朗さ。ここには、「指環」や「マイスタージンガー」からのモチーフも採用されており、聴いていて実に楽しい。
さらに、シュトゥッツマンの歌う「温室にて」の奥ゆかしさ、神々しさ。

そして太陽が嬉しげに
昼の空しい光に別れを告げると、
本当に悩み苦しんでいる者は
沈黙の暗黒に包まれる。
(石井不二雄訳)

オピッツのピアノ伴奏が、魂を刺激する。

 

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