クロード・ドビュッシーは間違いなく前衛だ。
彼がいて、20世紀の音楽家たちは既成の枠を破壊し、それぞれが新たな境地にたどり着くことができたのだと僕は思う。
前奏曲集第2巻を聴きながら、マイルス・デイヴィスの挑戦を思った。
電化マイルスの頂点たる”Bitches Brew”にあるのはドビュッシーの影だ。
このところ何週間か、ドイツの管弦楽指揮者が続々とやってきた。これは、伝染病のように由々しい問題ではないが、もっとずっとさわぎが大きい・・・一人の指揮者が90倍されるので・・・ワイガルトナーあるいはリヒャルト・シュトラウスが、たくましいモットルあるいは偉大なリヒターが、巨匠たちのあまりにも手あらに辱められた美をふたたび花咲かせようとすることに、反対はしないが、気ままにふるまいすぎてパリを練習室がわりにするのは、やめてもらいたい。せめてこれらの方がたが曲目のなかに何か新しい作品を加えたのであれば、それでも興味がもてただろう。しかし、全然。これまでのところお馴染みの交響的名曲ばかりで、私たちは、ベートーヴェンの交響曲を指揮するいろいろのやりかたの例によって例のごとき演習に、立ち会うといった寸法だ。
「ラ・ルヴュ・ブランシュ」誌1901年5月1日号
~平島正郎訳「ドビュッシー音楽論集 反好事家八分音符氏」(岩波文庫)P67
好事家を中心にしたその光景は、今も昔も変わらない。それにしてもドビュッシーの率直な見解の素晴らしさ。「常に新た」をモットーとしたであろうドビュッシーの内面は、ベートーヴェンの内側同様、再生のはったり(?)などでは満足を得ることができなかった。人がやらないことをやる、あるいは、過去の自分自身を超える、それこそが彼らの真意なのだと思う。
いったん演奏が始まると、オレは指揮者のように監督し、音楽が発展し、まとまっていくにつれて、その場で誰かに楽譜を書いたり、オレが考えていることを演奏するよう指示したりした。ものすごく自由なのに、しっかりとまとまっていた。偶然性に富みながら、音楽の中で起こり得る異なった可能性に対して、全員がちゃんと注意を払っていた。音楽が発展していく過程で、オレはもっと追求すべき部分や抑えるべき所を聴き分けていた。だからのレコーディングは、創造的な過程が展開された。動的で生きた作曲でもあったんだ。オレ達全員が出発点にしたのは、フーガやちょっとしたモチーフのようなものだった。ある程度それが発展した後には、たとえばバス・クラリネットのベニー・モウピンとか、ある種のサウンドを持ったミュージシャンを呼び入れて、何か違ったことをやらせるように仕向けた。それにしても、あのレコーディングのビデオ撮影を思いつかなかったのは本当に残念だ。フットボールやバスケットボールの再生みたいに、何がどんなふうにして起きたのか見てみたかったし、とにかく貴重なものになっていただろうにな。
~マイルス・デイビス、クインシー・トループ著/中山康樹訳「マイルス・デイビス自叙伝Ⅱ」(宝島社文庫)P144-145
“Bitches Brew”は、本人すら想像もしなかった奇蹟だった。
ある意味、同じことがミケランジェリのドビュッシーにも言えまいか。
長期間に及ぶ録音から想像するに、決して即興的ではない、計算された音楽美が彼の演奏にはあるが、それでいて即興的な味わいを醸すのはドビュッシーの音楽の作りのせいだろうか。否、ミケランジェリの思考・行動にそのヒントはあるように僕は思う。
内面の落ち着きのなさに突き動かされ、そこかしこで何やら聞き取れないコメントをしながら、それを聞き逃すまいと訪問者が集中力を高める中、家の中をひっきりなしに歩き回る。そうでなければ、ABMは時代遅れの揺り椅子に座り、それを勢いよく揺らすのだった。ABMは、どんな形であれ、常に動いていなければならなかった。食事のとき以外、私は彼が静かに椅子や安楽椅子に腰掛けてただそこにいるという場面に遭遇したことはない。特に、彼が長い間沈黙しているときは、彼を新たに発展させるべく、落ち着きのなさというエンジンがかたわらで動いているのが分かるのだった。
~コード・ガーベン著/蔵原順子訳「ミケランジェリ ある天才との綱渡り」(アルファベータ)P98
まるで多動児のような行動は、動的瞑想のごとく、彼の再生する音楽と相似形だ。前奏曲集第2巻の前衛性に彼らしい色彩を塗りたくる(?)発想に僕はミケランジェリの唯一無二を思う。それに、映像第1集から第3曲「運動」が詩的で、またダンサブルで素晴らしい。