ブーレーズ指揮アンテルコンタンポランのリゲティ室内協奏曲(1982.3録音)ほかを聴いて思ふ

僕たちは、意識という海の中にある。
分離されているようで、実は一つだということだ。
反復による鍛錬の結果である成果が二次曲線を描くのは、無意識の自発性が働くからだろう(逆も真なり)。

知識、技術、そして熟練は絶対に必要だが、それだけでは、特定の演奏解釈の質を解明するには不十分である。瞬間の自発性は相変わらずキーワードであり、主要な謎であるからだ。その点で、概して演奏家である、オーケストラ指揮者という職業にはパラドックスがある。学べば学ぶほど、知れば知るほど、一層演奏家は思い切って直接的な衝動に身を委ね、敢えて直観的かつ自発的でもあるかも知れない。結局、「後天的な自発性」という現象は、演奏解釈と呼ばれるものの核心に位置している。それは単に予備的な作業の量と質にだけ依存するのではない。苦労したにもかかわらず、完全にはわがものとならなかった幾つかの作品が、一時期完全に休息した後、再度採り上げるや、以前よりも即座に一層馴染み深くなっているのが分かったこともある。それはまるで、意識的とは言い切れない、隠れたプロセスが働き、どこからともなく贈り物が降って来たかのようだった。
「テクスト、作曲家とオーケストラ指揮者」
ピエール・ブーレーズ/笠羽映子訳「ブーレーズ作曲家論選」(ちくま学芸文庫)P37-38

ジェルジ・リゲティの室内協奏曲。
ブーレーズは作品を完全に手中に収めているようだ。トーン・クラスターを駆使した一見難解な音楽が、不思議に手に取るように「見える」のだから、それこそ彼の熟練の技。続けて演奏される4つの楽章は、静寂に包まれた暗黒の歌の如し。第3楽章の、ミニマルのような木霊と木霊のぶつかり合いが、官能を呼ぶ。魑魅魍魎の終楽章プレストは宇宙の鳴動。
続く「ラミフィカション」の、計算された恍惚と陶酔。完璧な魔法だと思う。

いくつもの雲は、いずれにしてもドビュッシー風のノスタルジーをほのめかすことだろう。じっとしていたり、膨張したり、しだいに消えてなくなったりすることによって、雲はクセナキスに構築性を、リゲティに揺れ動きを思いつかせることができるのだ。
ヴェロニク・ピュシャラ著/神月朋子訳「ブーレーズ―ありのままの声で」(慶応義塾大学出版会)P53

なるほど、「雲」を創造の媒介にする妙案。「アヴァンチュール」の3人の独唱が、揺れ動く。

リゲティ:
・13楽器のための室内協奏曲(1969-70)
・弦楽合奏、または12人の独奏弦楽器のための「ラミフィカション」(1968-69)
ピエール・ブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポラン(1982.3録音)
・弦楽四重奏曲第2番(1967-68)
ラサール四重奏団(1969.12録音)
ウォルター・レヴィン(第1ヴァイオリン)
ヘンリー・メイヤー(第2ヴァイオリン)
ピーター・カムニッツァー(ヴィオラ)
ジャック・カースティン(チェロ)
・3人の独唱と7つの楽器のための「アヴァンチュール」(1962)
ジェーン・マニング(ソプラノ)
メリー・トーマス(メゾソプラノ)
ウィリアム・ピアスン(バス)
ピエール・ブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポラン(1981.3録音)
・16声の無伴奏混声合唱「ルクス・エテルナ」(1966)
ヘルムート・フランツ指揮ハンブルク北ドイツ放送合唱団(1968.4録音)

傑作「ルクス・エテルナ」の無限は、大宇宙、あるいは小宇宙のそれと相似形。ただ無心に身を浸せば、文字通り「永遠の光」に遭遇できるように僕は感じる。そして、人間の心の最奥、それも、極限の冬(不安)を体現するような四重奏曲は、ラサール四重奏団に献呈されたものだが、ときに宙をつんざくような刃物のような音色に恐怖を抱くも、内なる光の存在に気づくとき、リゲティの愛を見る。

とにかく繰り返し聴くことだ。
ブーレーズが言うように、聴者にも知識、技術、そして熟練は絶対に必要だと思う。

 

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