オルフェウス室内管のモーツァルト「音楽の冗談」K.522ほか(1989.12録音)を聴いて思ふ

生とは苦悩だと言わんばかり。

「愛の書」
書物のなかのいとも奇しき書物は
愛の書なり。
われ、心してそを読みしに、
喜びを語るページはまれにして、
全巻これ悩みなり。
一章は別離に占められ、
再会の章は短く断片なり。
憂いの巻は長々と記され、
綿々として尽くるところを知らず。
高橋健二訳「ゲーテ詩集」(新潮文庫)P235

原題は「読本(Lebebuch)」。いわば生の教科書だ。
魂の成長のために生を全うしたいもの。

フリーメイスンの教義について僕は詳しくない。
しかし、モーツァルトが重篤の父レオポルトに宛てて書いた、あの有名な手紙を読むにつけ、(視点を変えて見た時に理解できる)あの世とこの世の全体観ともいうべき宇宙の仕組みを彼がついに理解、会得したようで、それならば、父の死の前後から彼の作風が一気に進化、深化し、崇高な境地に入って行ったことが容易に説明することができる。

死は(まともに考えれば)ぼくらの生の真の最終目標ですから、ぼくは数年このかた、この人間の真の最上の友にとても馴れ親しんでしまいました。そのため、死の姿はぼくにとって少しも恐ろしいものではなく、むしろ多くの安らぎと慰めを与えるものとなっています!そして、神が死こそぼくらの真の幸福の鍵だと知る機会を(おわかりですね)与えてくれたことに感謝しています。―ぼくは(まだこんなに若いのに)毎晩、床につくとき、もしかして明日はもうこの世にはいないのではないかと考えないときはありません。—それでも、ぼくを知る人は、誰ひとり、ぼくが人とのつき合いで、不機嫌だったり、悲しげにしていると言える者はないでしょう。—この幸せを、ぼくは毎日、創造主に感謝し、ぼくの隣人みんなにも与えられるように心から願っています。
(1787年4月4日付、レオポルト宛)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P367-368

最後の件が、当時のモーツァルトの境地である。
最愛の父の死を中庸(?)に捉え、同時に日々を、創造主に感謝し生きる前向きな姿勢は、直後の作品群にも克明に刻まれている。
少なくともこれ以降モーツァルトはより一層、人類のために音楽を書いた。

1787年5月28日、レオポルト・モーツァルト死す。
1787年6月14日に完成したとされる「音楽の冗談」K.522は、それこそ喧嘩も仲直りもある、混沌も調和もある現実世界をそのまま音化したような機会音楽だが、これぞ「死」というものを正面から受け入れ、恐怖どころかむしろ愉悦のものなんだということを世間に知らしめる傑作であるように僕は思う。

モーツァルト:リトル・ライト・ミュージック
・ディヴェルティメントヘ長調K.522「音楽の冗談」
・コントルダンスハ長調K.587「英雄コーブルクの勝利」
・コントルダンスニ長調K.534「雷雨」
・コントルダンスハ長調K.535「戦闘」
・6つのドイツ舞曲K.567
・ガリマティアス・ムジクム(クオドリベット)K.32
・行進曲第1番ニ長調K.335(320a)
・コントルダンスト長調K.610「意地の悪い娘たち」
・コントルダンス変ホ長調K.607(605a)「婦人たちの勝利」(補完:エリック・スミス)
・ドイツ舞曲ハ長調K.611「ライエルひき」
・3つのドイツ舞曲K.605
オルフェウス室内管弦楽団(1989.12録音)

素人耳には、何が「冗談」なのかはわからない。
現代の、あらゆる方法が通用する中で、モーツァルトが生み出した音楽は、どういう意図を持とうが、モーツァルトの音がする。

ちなみに、10歳のモーツァルトが書いた「ガリマティアス・ムジクム」K.32、また、23歳時の作品「行進曲第1番」K.335(320a)は、ザルツブルク時代の作品で、当然父の死の前のもの。それ以外の作品はすべて、ウィーン時代、父の死後に創作されたものたちだ。いずれも機会音楽とはいえ、前者と後者の相違点は、内的深度である。簡潔な書法の中に、生を謳歌せんとすべての人々に贈る祈りの念が込められている。

モーツァルトは躍動する。
モーツァルトはどんなときも人々を楽しませることを忘れなかった。

 

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