上岡敏之指揮新日本フィル トパーズ第593回定期演奏会

2018/19シーズン幕開け。
やはり生と死の物語。
世紀末退廃とは無縁の、絢爛豪華な美しさ。しかし、決して大袈裟でない、素朴な職人的魔法。あくまで等身大なのである。そこには、とろけるような浪漫があった。また、ストイックでありながら甘美な響きがあった。

上岡敏之の指揮は相変わらずのうねりを保つ。作品が目の前で息づく様。何という生命力だろう、人体が、臓器が互いに感知し、影響し合っているのと同じく、個々の楽器は見事なアンサンブルを整え、まるで一つの楽器のように鳴っていた。暗譜で指揮する上岡には余裕がある。その棒を、正確に追うそれぞれの独奏者も、恐るべき技術で崇高なシュトラウスを聴かせてくれた。

冒頭、確かにエンジンがかかるのに多少の時間を要した。
交響詩「ドン・ファン」のクレッシェンド、またディミヌエンド、そして絶妙なアゴーギク。特に、世紀末独墺モノは上岡の自家薬籠中、どの瞬間も実に有機的な響きを醸し、一瞬たりとも弛緩する「時」はなかった。続く、オーボエ協奏曲は、編成を絞り込んでの、文字通り作曲家晩年の諦念の体現。いかにもモーツァルトが規範だが、生を希求する老大家の余裕の音響は、明らかにモーツァルト以上に透明感を表出する。何より古部賢一の独奏の巧さ。また、オーケストラの各奏者の演奏も見事ゆえ、例えば終楽章での合いの手のフルートなどは本当に美しさの極みで惚れ惚れしたくらい。終楽章カデンツァは圧巻。
そして、アンコールで奏された歌劇「カプリッチョ」からの六重奏の、得も言われぬ静かな官能。これぞ彼岸の音楽だと痛感した。

新日本フィルハーモニー交響楽団トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉第593回定期演奏会
2018年9月14日(金)19:00開演
すみだトリフォニーホール
リヒャルト・シュトラウス:
・交響詩「ドン・ファン」作品20, TrV156
・オーボエ協奏曲ニ長調TrV292
~アンコール
・歌劇「カプリッチョ」より六重奏
休憩
・交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28, TrV171
・交響詩「死と変容」作品24, TrV158
古部賢一(オーボエ)
崔文洙(コンサートマスター)
上岡敏之指揮新日本フィルハーモニー交響楽団

リヒャルト・シュトラウスはドミトリー・ショスタコーヴィチと同じく、独奏の絡みによって音に色彩を重ねる作曲家だ。そして、上岡敏之は、シュトラウスのそういう色合いを、一つ一つ丁寧にパレットにとき合わせ、絶妙な指示によって有機的な音楽を再現する指揮者だ。そんなかけ合わせが悪いはずがない。

後半は絶好調。「ティル・オイレンシュピーゲル」は、まるでティルが目の前に現れたかのように凄まじさとユーモアの入り交じる音の描写で、一見深みのない、それほど魅力的だとは感じていなかった交響詩が、「子守歌」のように心地良く、あっという間に過ぎ去っていった(大交響曲に優るとも劣らない)。
最強は「死と変容」。この作品はもはや録音では絶対にわかり得ない音楽。デュナーミクの幅は大きく、独奏の絡みは緻密で、マイクには入り切らないように思うのである。それにしても今宵のホルンの巧さ、あるいはオーボエ、イングリッシュホルン、ファゴットなど木管楽器の愛らしさはどれほどだったか。それこそ楽想は生き物のように生き生きとし、最後の浄化のシーンの静けさなどは涙がこぼれるほどにきれいだった。

ちなみに、開演前(18:30)、ロビーコンサートが開催された。

ロビーコンサート
・モーツァルト:フルート四重奏曲第1番ニ長調K.285
荒川洋(フルート)
澤田和慶(ヴァイオリン)
吉鶴洋一(ヴィオラ)
弘田徹(チェロ)

モーツァルトはいつどんなときも美しい。

 

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