破壊と創造は対。変革の精神こそが歴史を創り、歴史を塗り替える。
1913年、ストラヴィンスキーとラヴェルは、ディアギレフからムソルグスキーの未完オペラ「ホヴァンシチーナ」のいくつかの部分の改作を委嘱された。この共同作業中、ラヴェルは、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に衝撃を受け、同時にまた「3つの日本の抒情詩」にも興味を持ったという。ストラヴィンスキーの「3つの日本の抒情詩」は、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」からヒントを得たものだが、ラヴェルもこの前衛的な作品にインスパイアされ、「ステファヌ・マラルメの3つの詩」の第1曲「ため息」を完成させることになる。
1913年4月2日、ラヴェルはアルフレード・カゼッラ夫人にあてて熱狂して自分の計画について書いている。それは語り手、歌、ピアノ、弦楽四重奏、フルート2本、クラリネット2本を必要とする「スキャンダラスなコンサート」を開こうというものだった。そこで名前の挙がった作品は(a)《月に憑かれたピエロ》(b)ストラヴィンスキーの《日本の抒情詩》、そして(c)彼の2つのマラルメ歌曲だった。
~アービー・オレンシュタイン著/井上さつき訳「ラヴェル生涯と作品」(音楽之友社)P85
仄暗い熱狂。
そうして、計画から数ヶ月後、コンサートは開催された。
1914年1月14日、ラヴェルが企画した「スキャンダラスなコンサート」が独立音楽協会でおこなわれた。ジャーヌ・バトリが《ステファヌ・マラルメの3つの詩》を歌い、ストラヴィンスキーの《日本の抒情詩》が演奏された。一点重要な変更があった。《月に憑かれたピエロ》が、モーリス・ドラージュの《4つのヒンズーの詩》に代わったのだ。好意的な聴衆の前で演奏されたマラルメ歌曲は喝采された。
~同上書P87
これは、100余年前、欧州の楽壇で巻き起こった(「春の祭典」をはじめとする)スキャンダラスな諸事件のうちの一つだろう。ちなみに、翌年にロンドンで初演された際の批評には次のようにあった。
注意深い聴衆は、想像を絶する超近代的不協和音の最強の練習曲を完全に当惑しながら聞いていた・・・時折声楽パートと伴奏部があまりにはっきりと違うので、バトリ=アンジェル夫人がある曲を歌っている一方、器楽奏者たちが別の曲を演奏しているのではないかと思われるほどだった。
(ザ・ウェストミンスター・ガゼット紙1915年3月18日号)
~同上書P87
デイム・ジャネット・ベイカーの歌う「マラルメ歌曲」は、まさにこの時のコンサートを髣髴とさせる最強の練習曲(?)であり、モーリス・ラヴェルの創造した官能の音楽に金縛りに遭うような刺激を受けるのだ。
・ラヴェル:ステファヌ・マラルメの3つの詩(1913)
・ラヴェル:マダガスカル島人の歌(1925-26)
・ショーソン:終わりなき歌作品37(1898)
・ドラージュ:4つのヒンズーの詩(1912)
デイム・ジャネット・ベイカー(メゾソプラノ)
バーナード・キーフ指揮メロス・アンサンブル(1966録音)
何ともため息の漏れるような色気というのか、そもそもフランス語の語感によるものなのか、ラヴェルの音楽は気絶するほど美しい。エヴァリスト・パルニの仏訳による(ピアノ、フルート、チェロを伴奏とする)「マダガスカル島人の歌」の妖しい響き。
また、ショーソンの世紀末作品「終わりなき歌」は、とても抒情的な響きで、地味ながら繊細な音楽に完璧に心奪われる(ベイカーの声の美しさ!)。
そして、「スキャンダラスなコンサート」でも披露された、ドラージュの「4つのヒンズーの詩」の、オリエンタルな風情の背面に感じられる聖なる歌が何とも心地良い。特に、第3曲「ベナレス:佛陀の誕生」での、ふくよかな、幻想的な、あるいは神秘的かつ前衛的な調べに陶酔。
「ためいき」
ぼくの魂は きみの額のほうへと、 おお 穏やかな妹よ、
そこに夢見るのは、紅の 落葉散り敷く 秋、
それから 君の瞳の 天使のような 揺らめく空へと
昇ってゆく、憂愁に閉ざされた 庭園にあって
いつも変わらぬ一筋の 噴水が白く 憧れてゆく、蒼穹へと!
~渡辺守章訳「マラルメ詩集」(岩波文庫)P58
マラルメ歌曲第1曲「ため息」は、ストラヴィンスキーに献呈された。
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