愛知とし子ピアノリサイタルが1ヶ月後に迫っている。忙しさにかまけてインフォメーションが遅々として進まなかったが、少々焦りを覚えてここ2、3日集中して友人たちに情報を流そうと頑張り始めた(苦笑)。今回のリサイタルの特長は2点。まず第一に、未就学児童も参加可能なコンサートを設けたこと。一般のコンサートなどでは、なかなか子どもは会場に入れてもらえないが、一方で子どもに良い音楽を聴かせたいという親御さんからの要望は前々から多数あり、ようやく今回そのご期待に応えようと渋谷のTEPCOホールでのリサイタルをファミリー向けに設定したのである(もちろん大人だけでも入場できます)。そして第二に、既存のクラシック音楽に物語を創作し、ナレーション付で披露するという試み。いわば子どもへの読み聞かせというイメージ。やさか のっきぃさんがこの日のためにシューマンの「子どもの情景」全13曲にとても感動的で素晴らしい物語をつけてくれました。とにかくひとりでも多くの方に聴いていただきたいと思う内容です。
毎日ブログを書いていて今日は何を書こうかと一瞬悩む(ただし、ひとたび書き出すとものの数分で書き上がってしまう)。その日一日に起きたこと、そして感じたこと、考えたことをまずは整理する。実は、この作業、つまり「振り返り」が大切なのだ。日々の仕事や雑事に追われているとなかなか「自分自身」を省みることを忘れてしまう。というよりそういう時間が持てない。しかしながら、身の周りで起こることは全て自分に原因があるのだということを前提とすると、「答え」が自分の中に必ず存在するわけだから、反省するという作業を自分に課すことは大切なことだ。
ブラームス:悲劇的序曲作品81&交響曲第3番ヘ長調作品90
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1955.7.26ザルツブルク音楽祭Live)
「悲劇的序曲」はその前年に亡くなったフルトヴェングラーに捧げられている。フルトヴェングラーとクナッパーツブッシュというのはいずれも20世紀を代表する天才芸術家だが、その音楽造りは正反対。同じデモーニッシュな表現でも、僕はどちらかというとフルトヴェングラーの人間臭い表現を愛好してきた。喜びも悲しみも共に分かち合おうとするかのようなフルトヴェングラーに対し、クナッパーツブッシュは孤高。人に合わせるとかという発想はまずない。ゆえに、昨日も書いたバックハウスとの実況録音のような珍事が起こる。それでも、ツボにはまったときは異様な感動を覚える音楽を創出し、その洗礼を一度受けてしまうと、クナ以外では物足りなくなってしまうのだから、これほど神懸かった指揮者はもう二度と出てこないのかもしれない。
クナッパーツブッシュの十八番であるブラームスの第3交響曲は、どの盤をいつ聴いても発見があり、感動する。このザルツブルク・ライブも然り。極めて自己中心的なイメージをもたれるクナッパーツブッシュだが、こういう得意な音楽を何度も繰り返し舞台にかけることで実は「反省」しているのかもしれないとふと思った。ソリストと合わせられないのは単に不器用なだけなのかも。なぜなら「計算」が感じられないから・・・。
こんばんは。
クナは近年、良いライヴ録音のCDがたくさん出ましたね。そうした状況を踏まえて考えると、クナはブルックナーよりブラームスのほうが得意だったのではないかという気もします。ブラームスの演奏の出来は、本当にどれも素晴らしいですが、ブルックナーについては、改悪版使用の録音が多いこともあり、例外的な大傑作であるウェストミンスターの第8番以外、あまり大した出来のものがないのでは・・・。
1位ワーグナー(断トツ)、2位ブラームス、3位ブルックナー、これが私のクナが得意だと思う順位です。
ブラームスの3番、シュトゥットガルト放送響との1963年 録音も雄大でいいですね。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1379618
愛知とし子さんの、より磨きをかけた演奏活動、応援しています!
>雅之様
おはようございます。
確かに僕もクナッパーツブッシュはブラームスの方が得意だったと思います。改悪版を使用していること自体ブルックナーをわかっていないのだと思いますし。でも、ひょっとすると本当に不器用で、彼の若い頃には「改訂版」での演奏が当たり前だったでしょうから、後年になって「原典版」がリリースされても「今更頭を切り替えられない」という感じだったかもしれませんね。
おっしゃるとおりワーグナーは誰も超えられません。
1963年のブラ3は残念ながら未聴です。