ノーノの「進まなければならない、夢見ながら」を聴いて思ふ

激しい嵐の後の夜風が心地良い。自然とは偉大なり。
酔狂の極みゆえ支離滅裂必至。お許しを・・・。

目に見えない世界。実際に目に見える人もいるにはいるが、一般的には信じるか信じないか。否、というより、人間の可視領域、可聴領域など限られていることで、明らかに見えないこと、あるいは見させてもらえないことが大半なのだから、そもそも信じないことの方がおかしい、僕に言わせれば。

その意味で言うと、音楽こそは目に見えない世界の典型だ。たとえ楽譜があったにせよ、そんなものは記号の世界であり、厳密な意味での作曲家の「意思」ではない(いや、実際に感知できない周波数レベルもあるのだから、そういうことを云々すること自体が実におかしいのだ)。人間の最大の罪は自らが地球上で、いや宇宙で最も偉い存在だと思い込んでいることだ。

だからこそ僕は音楽が好きで、音楽を信じるのである。目に見えない世界は誤魔化しが効かない。真実しか通用しないから。

人間が作りだした、後天的な最大の物は「思想」だ。こちらも見えないものだが、そこには人間の「エゴ」が働く。そもそも人間が作りだしたものなのだから限界がある。欠点だって大いに・・・。例えば「共産主義」。マルクスが起点としたポイントが「資本主義」なのだからそこから間違っている(やっぱり「愛」しかないのか?)。

コミュニスト、ルイジ・ノーノを聴く。

ノーノ
・ポリフォニカ―モノディア―リトミカ(6つの楽器と打楽器のための)
・13のための歌(13の楽器のための)
・ギオマールの歌
・進まなければならない、夢見ながら~2つのヴァイオリンのための
アンサンブル・ユナイテッド・ベルリン
ペーター・ヒルシュ
アンゲリカ・ルツ
アンドレアス・ブラウテハム
ステファン・カルベ

ノーノは20世紀を代表する作曲家だけれど、矛盾がある。
何より音楽の源は信仰であるにもかかわらず、彼は信仰を否定する。それゆえノーノの作品は左脳的だ。ちっとも魅力的でない。「よし!」と気合いを入れてからでないと正直ハードルが高い。
それでも「進まなければならない、夢見ながら」には一抹の希望もある(何と言ってもアンドレイ・タルコフスキーに捧げられているのだ!)。とはいえ、根源的な力はある。コミュニストが求めたものはそれだったのかも。彼は信じていたのかも。人間の行いには限界があることを知らずに。

それにしても3部構成の「進まなければならない」はタイトルからして暗示的。
ちなみに、「ギオマールの歌」の繊細さは類を見ない。

 

 


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4 COMMENTS

くまがい

岡本さん、くまがいです。ご無沙汰してます。
嵐のあとにノーノを聞かれるとは・・・さすがというか変わっているというか。
この2台のバイオリンの曲は カミナンテス(進み行く者)3部作
の1部らしく 3番目のオケの、
進むべき道はない、だが進まなければならない、という曲は
生で2度聞きました。サントリーホールの2階の何箇所かに打楽器など
配置して それが順番に鳴って、ステレオ効果のある、なかなか面白い
曲ですが CDではわからないかな?
(すみません、ノーノについ反応してしまいました)
またぜひクラオタ会でお待ちします。

ご参考:
ノーノの、カミナンテス(進み行く者)3部作
1,進み行くものよ…アヤクチョ(1986-87)
メゾ・ソプラノ、フルート、オルガン、ライヴ・エレクトロニクス、大小の合唱と3群の管弦楽のための
2,「進まねばならない」と夢見つつ(夢見ながら”歩かなければならない”)(1989)
2台のヴァイオリンのための。
3, 進むべき道はない、だが進まなければならない…アンドレイ・タルコフスキー (すすむべきみちはない、だがすすまなければならない…アンドレイ・タルコフスキー、No hay caminos, hay que caminar – Andrej Tarkowskij)は、ルイジ・ノーノが晩年に作曲した管弦楽曲で初期の「中断された歌」に次ぐ代表作である。

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岡本 浩和

>くまがい様
ご無沙汰しております。
昨晩は酔っ払った勢いで書いてしまっているようで、「進まなければならない、夢見ながら」は3部作の2番目の作でタルコフスキーに献呈したものじゃないですね。こちらの方は「ウィーン・モデルン」と題するアバドのアルバムに収められておりますが、勘違いしておりました。ご指摘ありがとうございます。
しかし、3番目のタルコフスキー・オマージュを2度も実演で聴かれているとは強者です、さすがです。

それにしても「カミナンテス」=「神なんです」と聞こえなくもないタイトルですが、このあたりもノーノの矛盾のように思います(笑)。クラヲタ会ぜひまたお邪魔します。

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ふみ

ノーノと言えば、ザルツブルクで「愛に満ちた偉大なる太陽に向かって」というオペラを観ましたが、単純に僕はその音と高度な思想の結び付きに感動しました。
決してコミュニストなどではないですが…(笑)

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岡本 浩和

>ふみ君
>その音と高度な思想の結び付きに感動しました。

当然オペラは観ていないけど、想像できます。
ノーノは音楽家というより思想家だなぁ・・・。

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