フルトヴェングラーのブルックナー・その2

bruckner_8_furtwangler_bpo_1949314.jpgたとえルーティンであれ、日常的に誰かとコミュニケーションをとることは大切なことだとつくづく感じる。僕の場合、それが少人数でも大人数でも、人前で話をする機会がもてるだけで、身体がすっと楽になる。「話をすること」自体がルーティンになっちゃしょうがないが、特に初めての方々を眼前に適度の緊張感を持ちながらお話をすることは滅法面白い。幼い頃、どちらかというと寡黙で人見知りだった僕がこんな風になるとは想像もしなかったが、実は変わったわけじゃないということが、よくよく振り返ってみるとよくわかる。本当に小さい頃は、よくしゃべり人前に出たがるタイプだったから。それが教育のせいか何らかの体験のせいかわからないが、いつの間にかほとんど心を開くことがなくなるような人間になってしまうのだから、思春期のちょっとした出来事というのは侮れない。

いろいろと過去を振り返ってみて、思い出す。あの時のあれか?それともあの頃のあの件だろうか・・・。とはいえ、近頃世間を騒がせるいじめや虐待などというものには遭遇しなかったのだからやっぱり幸せだといえる。本質は変わらないし。

どんな悲惨な経験をしようが、どんな高貴な経験をしようが、人間の本質って意外にそうそうは変わらないのかも。表現の手段や表現の方法は変わっても根本は一切変わらず

渋谷からの帰り道、そんなことを考えながら、またまたフルトヴェングラーのブルックナーを想像した。了見の浅かったあの頃、自身の感性よりも一部の批評を信じ込んでしまっていた。ちゃんと聴き込まないまますべてが棚の奥に眠った。そんなひとつひとつの音盤を久しぶりに取り出し、聴きながら感じること。それは、録音でなく、フルトヴェングラーの実際の音にその場で触れていたら、ブルックナーだろうがワーグナーだろうが、もちろんベートーヴェンだろうがブラームスだろうが、間違いなく失禁するほど感動しただろうということ。古びた音の彼方から聴こえる猛烈なエネルギーとパッションを心底感じることができたら、その瞬間に目の前でフルトヴェングラーが指揮をしている姿がまるで3D映像のように浮かび上がる。そうなったら彼の音楽を誰も否定できない。

本当に久しぶりに、そして真面目に聴いてみた。そして、驚いた。

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ハース版)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1949.3.14Live)

鑑賞に十分耐えうる音質。何より、灼熱の音の塊が暴発する瞬間が、あまりにブルックナー的でないゆえフルトヴェングラーのブルックナーを評価しない人は気に入らないのだろうが、そもそもブルックナー的とは何ぞや?正統とは何?その音楽を再創造する者が感じたことがその瞬間の正統であり、真実なのではないか。どんな表現手段をとろうとブルックナーの本質は変わらない。ブルックナーは神仏でなく、れっきとした人間・・・。


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>灼熱の音の塊が暴発する瞬間が、あまりにブルックナー的でないゆえフルトヴェングラーのブルックナーを評価しない人は気に入らないのだろうが、
>ブルックナーは神仏でなく、れっきとした人間・・・。
おっしゃるとおりだと私も思います。今朝は、あえて私が付け加えることはないですねぇ・・・(笑)。
まあ、一般的なクラヲタの皆さんのブルックナー観に百歩譲って、彼の世俗曲である交響曲が大自然だとしても、
山脈(火山噴火、プレートテクトニクス、造山運動)、太陽、恒星、惑星、流星、超新星爆発、ブラックホール、そしてビッグバン・・・・、山脈も地球も宇宙も、みんな、私達人間の心と同じく絶えず揺れ動き変化し続けているという認識に立つと、動的なフルトヴェングラーのブルックナー解釈こそが「宇宙の真理」なんですよね(笑)。
地球の直径くらいの自分軸を持つとですね、地球の鼓動音とともに、灼熱のマグマの塊が暴発する音とか、プレートがこすれ軋む音なんかも、いっぱい聴こえてきますよ(笑)。愛おしいですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E5%B1%B1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
フルトヴェングラーのブルックナーなどブルックナーではない!なんて断言すれば、やりとりは面白い展開になるんでしょうが・・・(笑)。
しかし、最近は僕も軸が地球の直径に限りなく近づいていますから、ついつい刺激的でない記事になってしまいました。
>動的なフルトヴェングラーのブルックナー解釈こそが「宇宙の真理」なんですよね
おっしゃるとおりです。これで実演なんかに接していたなら腰を抜かしていたかもしれません。

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