
見本市で売りに出される予定の書物は、あらかじめカタログに収録された。その中には、神学、法学、歴史学、地学、外国語といった項目とならんで、世界各国の楽譜があげられていた。見本市の時にライプツィヒを訪れれば、当時の最新流行の音楽を手に入れることができた。バッハももちろん、楽譜集めにいそしんだ。そして同時に、このようなシステムを利用して、自分の作品の計画的な出版に乗り出したのである。日常使う楽譜はまだ筆写譜のことが多かった当時、楽譜を出版することは、より広い範囲の聴衆に自分の音楽を届けようという試みでもあった。
~加藤浩子著「バッハへの旅―その生涯と由縁の街を巡る」(東京書籍)P285
文化、文明、技術の進歩にも助けられ、バッハの音楽はより多くの人びとに知られるようになるのだが、それにしてもバッハの目の付け所の良さ、というか、その類稀なビジネス・センスにも驚かされる。
コンサートや出版活動にのめり込んだからといって、バッハが教会音楽からしりぞいたわけではなかった。主要教会における礼拝音楽は、引き続きバッハの管轄下にあった。
16世紀に活躍した作曲家、フィリップ・ニコライの有名なコラールにもとづく、《目覚めよと呼ぶ声あり》BWV140は、バッハがコレギウム・ムジクムの指揮を引き受けた後、1731年の11月に初演されている。
ただし、そこへ向けるエネルギーは、年々減少していった。新作はめったに生まれなくなっており、たいがいは自分の旧作を上演し、また他人の作品を活用した。旧作を転用する、いわゆる「パロディ」もひんぱんに行われた。
~同上書P286
勤勉なるバッハの、猛烈なエネルギーの体現。そこには流用やパロディがあろうと、不滅の香りが漂う。
カンタータ第140番第3曲、(魂をあらわす)ソプラノと(イエスをあらわす)バスの二重唱は、「マタイ受難曲」第47曲アルトのアリア「憐れみ給え、わが神よ」とほぼ同質の旋律と音調を持つ名曲だが、ここでのマティスとフィッシャー=ディースカウの掛け合いは、哀惜と愛の念に満ち、特に感情と理知のバランスに優れ、とても素晴らしい。もちろん、有名な旋律を持つ第4曲コラール「シオンは物見らの歌うの聞けり」でのシュライアーの厳粛でありながら静謐な祈りの念溢れる歌にも心が震える。
晩年のリヒターの指揮するバッハは格別だ。
慈しみの心をいつ何時忘れてはならない。