時が止まったかのような錯覚。
フランツ・シューベルトの生み出す音楽は、他の誰が書いたそれよりも圧倒的に美しい。歌を秘めるその旋律は、時に甘く、時に切なく、僕たちを虜にする。「即興曲集」には「永遠」が刻印される。
内田光子をして「死ぬ時にはシューベルトを弾いていたい」と言わしめた作曲家は、(おそらく)梅毒のため31歳で短い生涯を閉じた。
フランツ・シューベルトの書いた最後の手紙に慟哭はない。彼はまだまだ生きるつもりだっただろうから。
愛するショーバー!
ぼくは病気だ。もう11日間もなにも食べたり飲んだりしていない。そしてベッドと椅子のあいだをよろよろと往復している。リンナが往診に来てくれている。なにか食べようとしても、すぐ吐いてしまう。
だから申し訳ないが、こんな身体のいうことをきかぬ状態なので、なにか読み物を見つくろってくれないだろうか。クーパーの「モヒカン族の最後」と「間諜」、「水先案内人」、「入植者たち」はもう読んでいる。彼のそれ以外の本があれば、ポーグナー夫人の喫茶店に預けておいてくれないだろうか。几帳面な兄がそれを間違いなくぼくにとどけてくれる。なにか別の本でもかまわない。
きみの友、シューベルト
(1828年11月12日付)
~喜多尾道冬著「シューベルト」(朝日新聞社)P297-298
10日以上も断食という状況で、本を貪る彼には希望があった。
それなのに彼は、1週間後に、あっという間に逝ってしまった。
シューベルト:即興曲集作品90 D.899
・第1番ハ短調
・第2番変ホ長調
・第3番変ト長調
・第4番変イ長調
シューベルト:即興曲集作品142 D.935
・第1番ヘ短調
・第2番変イ長調
・第3番変ロ長調
・第4番ヘ短調
内田光子(ピアノ)(1996.9.10-15録音)
内田光子のピアノには、不思議な仄暗さが纏わりつく。特に、作品142D.935の4曲は、とても人間技とは思えない絶品たち。第1番ヘ短調第2部の主題の、あまりの神々しさ!まさにシューベルトらしい、唯一無二の音楽が、筆舌に尽くし難い光輝を放つ。そして、愛らしい第2番変ホ長調も、内田光子の手にかかっては、実に哲学的な響きを醸しながら、天上的な音楽として生まれ変わるのだ。
「ロザムンデ」間奏曲の旋律を主題にする第3番変ロ長調は、音を抑制した、相変わらずの愉悦。そうして、第4番ヘ短調の躍動(死の舞踏か?)!!
翌18日になると、彼はかなり意識が混濁し、フェルディナントに、「自分の部屋に入れてほしい、こんな地面の隅にほっておかないでほしい。この世にぼくの居場所はないのか」と訴えた。兄が「おまえはいつもの自分の部屋にいるじゃないか、自分のベッドにいるんだよ!」と懸命になだめると、「いや、それは違う、ここにはベートーヴェンがいない」とつぶやいた。
~同上書P298-299
最晩年、シューベルトは、ある意味ベートーヴェンを超えた。
1828年11月19日午後3時、フランツ・シューベルト死す。
それから190年目の日の、内田光子の「即興曲集」。
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